ばかしくって、たまらない米友。

         二十六

 幾時《いくとき》の後なりけん、山道|切拓《きりひら》き工事(拳大の石を一つ掘り出すこと)がようやく終ると、木遣《きやり》の声がする。
 大骨折って掘り起した三百匁ばかりの石を、手揃いで大八車に積みのせる仰々しさ、さてまた、それを木遣音頭で送り出す騒がしさ。
 そこで、お取持が、新元服の前に例によって平身低頭して、工事のようやく成れることを告げてお通りを乞うと、新元服は鷹揚《おうよう》にうなずいて、歩み行くこと約三尺。
「お取持、おのおののお骨折りによって、大山は取除かれたが、またしてもここに大きな川があって渡れ申さぬ」
「ははあ、これはまた恐れ入りました、では、橋かけに取りかからせまする」
 大きな川があって渡れないというところを見ると、金魚屋がこぼして行ったような水たまり。
 その御託宣をかしこまって人夫をかり立てるお取持――えんやえんやで竜吐水《りゅうどすい》が繰込んで来る、蛇籠《じゃかご》が持ち出されるという光景を見て、米友がばかばかしさを通り越して、もう一刻も我慢がなり難くなりました。さすが暢気《のんき》な道庵も、うんざりしたと見えて、
「友様やあーい」
「おーい」
「どうだ、出かけようじゃねえか」
 一から十まで承知しているような面《かお》をしながら、その実、頭も尻尾も一向なさか[#「なさか」に傍点]のわからない道庵先生に向って、お数寄屋坊主が、今の元服加儀の行列のいわれを、説明していうことには――
 毎年の初午《はつうま》には、熱田西浦東浦の若い者が元服する。その加儀として、去年元服した若い者を請待《しょうだい》する――招待された客は、おのおのに箱提灯《はこぢょうちん》を持たせ、髪も異様に結い廻し、すべておかしき形を旨として出立する。
 その時、亭主の方よりお取持の者が大勢出で、客の前後に従い、案内をする。その行列はさながら蟻の歩むが如く、我儘《わがまま》の言い放題で、取持を困らせるのを例とする。ただいま実見した通り、小石一つ見つけても大きな山があると言い、水のこぼれたあとを見ては、深い河があって渡れないと言う。その度毎に、あの通りの騒ぎで、大勢寄ってたかって、石を掘り取り、木遣《きやり》で送り出し、水は大仰にかいほすやら、橋をかけるやら――万事この調子で、道のり四五町のところを、正午《ひる》頃から出て、暮方になって家に着く――主として熱田西浦東浦に行われる風習を、今日はどうした風の吹廻しか、城下の大路へ持ち出したものと見えます。
 これは、時にとってよい見物《みもの》で、道庵をいたくよろこばせました。
 思わぬ道草で時間をとり、広小路から末広町を通って、若宮裏へ廻って、門前町へ出で、それから少し行き過ぎて、後戻りをして、樅《もみ》ノ木《き》横町から、ようやく亀岳山万松寺の門前に着きました。
 道庵がお数寄屋坊主の案内で、庫裡《くり》から本堂へ案内されて行く間、米友は草鞋《わらじ》をとらず、外に待っている。
 ここでも多分、特別待遇をこうむることと思われる道庵。それを待つ間の時間はかなり長いものと観念した米友は、その間、彼はこの寺の境内をうろつき歩いてみる気になりました。

         二十七

 万松寺の境内を一わたり歩いて、白雪稲荷《はくせついなり》の前に来て稚児桜の下に、どっかと坐りこんだ米友は、しきりに眠りを催してきました。
 ついに、うつらうつらと、桜の根を枕にして、うたた寝の夢に入ったのは、米友としては、稀有《けう》の例です。いつもゆるみのない彼、責任感のことのほか強い彼。ましてこのたびは、尊敬すべき道庵先生のために、忠実なる従者であり、勇敢なる用心棒である上に、道中は、どうかすると、素行の上に於て、監督者としての役目をも、負わさせられている米友。いつも張りきった心と、油断のない目をみはっていたのが、今は珍しくこの稚児桜の下で眠りを催し、つい、うとうととして夢に入ってしまいました。
 このくらいの余裕はあってもよろしいし、なければ米友としても、やりきれない。それに今日は、老巧にして如才のないお数寄屋坊主の玉置《たまき》氏が、道庵の身の廻りには、附ききりで周到な斡旋を試みているし、ところは、この寺の奥殿の中に封じこめて、その下足は、確かに自分が保管して来ている。どう間違っても碓氷峠《うすいとうげ》の下で、裸松のために生死《いきしに》の目に逢わせられたり、木曾川沿岸で、土左衛門の影武者におびやかされたりするような脱線のないことは保証する。まかりまちがったところで、それは平《ひょう》を踏みはずし、仄《そく》を踏み落して、住職や、有志家連をして、手に汗を握らしむる程度のものに相違ないから、その点の安心が、米友をして仮睡《うたたね》の夢に導いたと見らるべきです。
 いくしばらく、昏々《こんこん》たる夢路を歩んでいるが、道庵お立ちの声は、容易にその夢を驚かすことがない。
 そこで、つい、うたた寝のかりねの夢が、ほんものになり、ほとんど熟睡の境に落ちて行きました。だが、それも深く心配するがものはない、従来、極めて夢そのものを見ることの少なかった米友も、近来はしばしば夢を見ることに慣らされているけれども、かつて不動明王の夢を見て、江戸の四方をグルグル廻らせられたほどに、夢をもてあますことはありません。
 それ以来、夢を見るには見るけれど、夢の後に来るものは驚愕にあらずして、多少の懊悩《おうのう》と懐疑とです。甚《はなは》だ稀れには歓喜であることもあります。最も困惑するのは、夢と現実との世界がはっきりしない、その当座だけのものでありましょう。
 彼は、どこぞでひとたび霊魂不滅の説を吹きこまれてから、それが全く頭脳の中に先入していて、生きている人と、死んだ人との区別が、どうもハッキリしない。有るようで、無いようで、今まで生きていた人が、死んで消え失せたとはどうしても思えないし、そうかといって、眼前、自分の前で死なせて、お葬《とむら》いまで立会った人が、もう一ぺん、生きて動いて来るとは、どうしても考えられないこともある。
 尊敬すべき道庵先生に、その霊魂不滅説の根拠にまで突込んで質問をしてみたこともあるが、先生の答が、要領を得るような、得ないようなことで、おひゃらかされている。
 とにかく、この男としては、どうしても死んだものが、もう一ぺん、形を取って現われて来るようにしか思われてならない。死の悲しみは味わわせられたが、それは、別離の悲しみの少し深い程度のもので、いつか、また会われるという感じが取去れないのが、今はもう信念というほどのものにまでなっている。されば、江戸で失った大切な馴染《なじみ》のお君という女に、このたびの道中のいずれかで再度めぐり逢えるように思われて、信ぜられて、ここまで来ている。
 多分、この時の熟睡の中にも、旅中しばしば繰返されたその夢に、ついさき、見せられた故郷の山河が織り込まれて、相変らず、生と、死と、現実《うつつ》と、幻《まぼろし》との境に、引きずり廻されているに相違ない。
 こうして熟睡に落ちている時――隠れ里の方から賑《にぎ》やかな一隊の女連が繰出して来て、稚児桜を取りまいて、
「稚児桜よ」
「大きいわね」
「大きな稚児さんね」
「本当に大きいわ、花が咲いたらさぞ見事でしょうね」
「花の時分には、ここでお稚児踊りがあるのよ」
「踊りましょうか」
「踊りましょうか」
「手をつないで、この桜のまわりで、皆さんで踊りましょう」
「いいこと、ね、踊りましょう」
「皆さん、よくって」
「ええ、いいわ」
「じゃ、踊りましょうよ」
「踊りましょうよ」
 女連は、おたがいに手をとり合って、お稚児桜を中に輪を作ってしまいました。自然、右の桜の根を枕にして熟睡に落ちていた米友ぐるみ、輪の中に入れてしまったものです。

「さあ、踊りましょう」
「よい、よい、よいとな」
「よいとさ」
「あら、よいきたしょ」
「及びなけれど――」
「ほら、よい」
「及びなけれど――」
「ねえ、ねえ」
「万松寺さんの――」
「はい」
「万松寺さんの――」
「はい」
「お稚児桜――」
「お稚児桜――」
「一枝|手折《たお》って――」
「一枝手折って――」
「欲しうござる――」
「欲しうござる――」
 初めは手をつなぎ合って、輪をつくり、三べんほど廻ってから、音頭で、はっと手を放し、「及びなけれど」で、左の手で、ちょっと長い袂をおさえて、右の手を上げて、桜の枝を指し、「万松寺さんの」で、クルリと廻って、お寺の廂《ひさし》を見込む形になり、「お稚児桜」でまた長い袖をたくし上げて、西の堂を前に、肱《ひじ》の角度を左右に開いた形もよい。
「一枝手折って欲しうござる」で、手をからげて水車のような形も艶《つや》っぽくてよい。
 この時ならぬ花見の催しに、あたり近所が急に春めいてきて、病葉《わくらば》の落ちかかる晩秋の桜の枝に花が咲いたようです。折柄、参詣の人の足もとどまり、近所あたりの人もたかって来る。
 踊り手も、それで一層、張合いになって踊りもはずみました。
 そこで、自然、宇治山田の米友も、ひとり長く甘睡を貪《むさぼ》ることを許されなくなりました。
 踊りに夢を破られた米友が、むっくりと起き上り、睡眼をみはると、このていたらくで、不覚にも眠りこけた自分というもののおぞましさを悔ゆると共に、いつのまにか、あたりの光景の花やかな変り方に驚きました。
 自分のねこんだ時は、四方《あたり》に人も無く、日当りのいい小春日和で、おのずから人を眠りにいざなうような、のんびりした桜の木蔭でしたけれども、眼がさめて見れば百花爛漫の園となってしまったような有様ですから、暫く米友は、夢の中の夢ではないかとさえいぶかりました。
 仰天して見ると、あたりこそ花を振りまいたような陽気ですけれど、仰いで見るところの稚児桜は、寝込んだ以前に見たのと、少しも変りません。
 枝が老女の髪のようにおどろに垂れて、病葉が欠歯のように疎《まば》らについているを見ると、彼は急に狼狽《ろうばい》をはじめました。
「いけねえ、つい知らずに一寝入りやらかしちゃった」
 狼狽してみたが、前も後ろもめまぐるしいばかりの踊り手で、その後ろはまた見物の人だかりで垣根を造られている。
 そこで、米友は、例の杖槍《つえやり》と、荷物に手を触れてみたが、これには異状がありません。
 本来、こうしたあわてぶりは、米友自身だけで単独に見せられると、かなり人目を惹《ひ》くのですが、この場合、誰しもひとり、このグロテスクに注目する者のなかったのは、集まっている程の者が皆、踊りに目を取られていたからです。
 けれど、たまに存在としての米友の狼狽ぶりに注意を向けたものはあっても、多分、これはこの踊りの女連の弁当担ぎか、下足番の小冠者に過ぎまいと見ただけのものです。
 そこで、米友は、誰のなんらの怪しみにもでくわさずして、手早く荷物を取って肩にかけ、杖槍を拾い取って、飛び立ったが、さて、行かんとする周囲は、踊り連の妙《たえ》なる手ぶりで、蟻も通わせぬようになっているから、さすがの米友も、その一方を突破するに当惑しました。
 手を放して、めぐっていた踊りの連中が、この時は、また手をつなぎ合って、ぐるぐるめぐりを始めたから、相手がこの連中であるだけに、米友としても、鉄砲玉のようにその一角を突き破って通ることに、いささか躊躇《ちゅうちょ》を感じました。しかしながら、その一角を突き破らぬ限りには決して、この囲みを解いて、自分の身を解放することができないと考え、そこで思いきって、突破にかかろうとしたが、さてまたそこで、いずれあやめと引きぞわずろう、というわけでもあるまいが、どこぞに突破口を求むれば、必ずその一角が犠牲に供される。米友としては、この踊りの連中のいずれに対しても、特別に信用と贔屓《ひいき》とを感じているわけではない。実際、こういうふうに、まんべんなく緊張して、いずれもいい気持になって踊っている時には、特にここを破ろうとの破綻《はたん
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