るを補うという神妙なる親切気が、名古屋城下の人を歓喜せしめたのみではありますまい。
名古屋に入るとまず、金の鯱なんぞには目もくれず、一直線に尾張中村まで来てしまって、そこで、豊太閤の供養を営んで、徳川幕府の忌諱《きき》に触れることを、意としないという大胆なる勇猛心が、心ある人をしてなるほどと感心せしめたのもその一つでしょう。
それから、見るもの聞くものに対する軽率なる判断と罵倒《ばとう》――学者のことをいえば学者、医家のことをいえば医家、餅屋のことをいえば餅屋――酒屋のことをお手前物のように、踊りのことも、浄瑠璃《じょうるり》のことも、大根から味噌のことまで一騎に引受けて、苦もなく、こなすものだから、その博識は測るべからず、その大通は粋を窮《きわ》め、博識と大通のあまり、人を茶に浮かして興がることに生きている一代の逸民。
つまり、こんなふうに、わが道庵先生を買いかぶってしまったればこそ、この江戸舶来の珍客に、名古屋の粋を味わわせて、歯に衣《きぬ》着せぬ批評を承っておくことは、名古屋人士にとって、後学の機会である。
こういう人の罵倒は、罵倒せられた方も恥ではなし、また、こういう人
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