「本所……」
ここで米友が、ちょっと眼を円くしました。
本所というところには、米友としてはかなり多くの思い出を持っている。
向う両国も本所だし、鐘撞堂新道《かねつきどうしんみち》も本所だし、老女の家も本所であるし、弥勒寺長屋《みろくじながや》も本所のうちであったはず。
「本所」と聞いて、米友が思わず苦い面《かお》をしました。
しかし、この男は、これより以上に詮索《せんさく》がましい聞き方をする男ではありません。
女の人の方は、また、本所と言ったそのことが、急場の間に合わせ言葉かも知れない。そこで、おたがいの戸籍しらべは、それより進行しませんでした。
こうして、本街道筋に出た二人は、ついにここで袂《たもと》を別たねばなりません。
「兄さん、お前さん、もし急ぎでなければ、千鳥塚を見て行かない?」
と、女の人の方から誘いをかけられて、
「そうさなあ」
米友としては、歯切れの悪い生返事でしたが、少しも拒絶の意味には響いていない。
「急ぎでなければ、一緒においでなさいな」
「今晩は泊るかも知れねえと、先生の前へことわって来たには来たけれど」
「そんなら一緒に行って下さい、そうして都
前へ
次へ
全514ページ中413ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング