よ、薩摩の西郷が、中に立って斡旋尽力した賜物《たまもの》である。毛利父子を恭順《きょうじゅん》せしめ、三家老の首を挙げて、和平の局を結ばしめたのは、実は薩摩の西郷吉之助があって、その間《かん》に奔走周旋したればこそだ、尾張藩の功というよりも、西郷の功だ」
「うむ、一方には、そう言いたがる奴もあるだろうが、尾張藩のある者から言わせると、西郷などは眼中にない、もとより、和戦の交渉一から十まで尾張藩一箇の働きで、長州の吉川監物《きっかわけんもつ》に三カ条を提示して所決を促したのも、西郷でも何でもない、実は犬山成瀬の家老|八木雕《やぎちょう》であったのだ。近頃は薩摩の風向きがいいものだから、その薩摩を背負って立つ西郷という男が、めきめきと流行児になっているから、なんでもかでも西郷に担《かつ》ぎ込んで、彼をいい子にしてしまいたがるといって、憤慨している者もある」
「つまり、それも一方から見れば、この城に、意気と、人物がないという証拠になる。もしこの城に、会津ほどの気概があり、西郷ほどの人物がいたら、金の鯱《しゃちほこ》がまぶしくって、誰も近寄れない、それこそ天下の脅威だ」
「ところが、この城の金
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