っぱり相当の深謀遠慮というやつがあり、この城地の存在に、特別の使命が課せられていると見るのが至当だ。太閤の大坂城から奪って来た名宝という名宝は、たいてい江戸までは持って行かないで、この尾張名古屋の城に置き残してあるということだ。その辺から見ても、家康の心中には、何か期するところがあったに相違ない。一朝天下が乱れた時に、どんなふうにこの城が物を言うか、それはこうして、金の鯱を眺めていただけではわからない」
「もとより、家康の心事もわからないが、あの時に進んで主力となって、この城を築き上げた加藤肥後守の態度もわからないものだ。そこへ行くと福島正則の方が、率直で、透明で……短気ではあるが可愛ゆいところがあって、おれは好きだ」
「うむ、あれは清正が、毒饅頭《どくまんじゅう》を食いながらやった仕事だから、一概に論じてはいけない」
 南条は感慨無量の態《てい》。
 そこで暫く途切れた二人の会話の後ろには、名城取立て当時の歴史と、人物とが、無言のうちに往来する。
 慶長十五年六月二日より事始め。家康の命によって、その第九子義直のために、加賀の前田、筑前の黒田、豊前《ぶぜん》の細川、筑後の田中、肥前の
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