たのみならず、安政四年、門弟を集めて女芝居の一座を組織し、その初興行を若宮で催したのが縁となって、名古屋の女優界に一つの機運を産み出した上に、中村宗十郎の妻となって、彼を一代の名優に仕立てたのは、その内助か、内教かの功多きによるという。
篠塚力寿が京から再び名古屋へ帰って来る。留守の間に自派の振わざるを見、阪東派の盛んなのを見て、いかなる感慨を懐《いだ》いたか、それはわからないが、力枝、大吉、力代といったような弟子たちを集めて、女芝居を組織したところを以て見れば、多少の義憤と、敵愾心《てきがいしん》を持っていたことは争われないと思われる。
舞踊は西川流に併呑され、或いは合流されて行くうちに、この二人の花形がようやく老いゆきて、舞踊から女優方面に、進路を見つけようとした潮流はよくわかる。
それと前後して、以上の三流とは全く別派の流れをなして来たものに、初代岡本美根太夫がある。
もとは江戸の人で、新内を業としていたが、大阪で薩摩説教節を聞いて、これを新内と調和して新曲をはじめ出した。
この岡本の女弟子たちによって源氏節なるものが生れんとして未《いま》だ生れず。
そんなような空気
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