みますと、もうそんな腹立ちは一切忘れてしまって、なんだか嬉しくて、おなつかしくて、つい、こんなに涙が出るような始末なんです、わたしも意気地がなくなりましたねえ」
と、お角は一息にまくし立てましたが、なるほど、それも口前ばかりではないらしく、お角の眼が、次第次第にうるおってくるようです。お角さんという女、まさか人を喜ばすために眼を湿《しめ》らして見せるなんという、しみったれた芸当をする女ではあるまいから、実際、こう言っているうちに、なんとなく、嬉しく、懐しくなって、珍しいことに涙を催してきたのかも知れません。
 といって、お角ほどの女が、お銀様に向っては苦手であることはいまさら申すまでもありません。
 お角さんほどの女が、このお銀様の前へ出ると何か気が引けて、先《せん》を越されて、圧迫を蒙《こうむ》るように息苦しい気持になることは、宇治山田の米友ほどの男が、このお角さんに向うと、どうも、すくんでしまうようなものです――だが、なるほど、恐縮の何物かを感ずる底に、また何とも言い難い一種の親愛がひそんでいるようにも見られる。
 お角ほどの女が、こうしてお銀様の前で涙ぐむのも、この言い知れぬ親愛
前へ 次へ
全514ページ中242ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング