と見らるべきです。
 いくしばらく、昏々《こんこん》たる夢路を歩んでいるが、道庵お立ちの声は、容易にその夢を驚かすことがない。
 そこで、つい、うたた寝のかりねの夢が、ほんものになり、ほとんど熟睡の境に落ちて行きました。だが、それも深く心配するがものはない、従来、極めて夢そのものを見ることの少なかった米友も、近来はしばしば夢を見ることに慣らされているけれども、かつて不動明王の夢を見て、江戸の四方をグルグル廻らせられたほどに、夢をもてあますことはありません。
 それ以来、夢を見るには見るけれど、夢の後に来るものは驚愕にあらずして、多少の懊悩《おうのう》と懐疑とです。甚《はなは》だ稀れには歓喜であることもあります。最も困惑するのは、夢と現実との世界がはっきりしない、その当座だけのものでありましょう。
 彼は、どこぞでひとたび霊魂不滅の説を吹きこまれてから、それが全く頭脳の中に先入していて、生きている人と、死んだ人との区別が、どうもハッキリしない。有るようで、無いようで、今まで生きていた人が、死んで消え失せたとはどうしても思えないし、そうかといって、眼前、自分の前で死なせて、お葬《とむら》い
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