がっていたことは確かです。だが、お手先もまた、この祭典が何のための、何を主体としての祭典だか、一向わからなかったことは、前に述べたと同じことの理由です。
 しかしながら、今や、鮮かに木柱が押立てられてみると、証拠歴然です。
 だいそれたこの風来者は、人もあろうに豊太閤の供養をしようというのだ。
 親類でも、縁者でもあろうはずのない奴が、官憲の諒解《りょうかい》もなく、英雄の供養をしようというのは生意気だ、油断がならぬ、危険思想にきわまったり、者共|捕《と》ったという一言の下に、この場に疾風暴雨が殺到してしまった次第です。
 善良なる村の紳士淑女も、秀才も、涎《よだれ》くりも、木端微塵《こっぱみじん》でありました。周章狼狽《しゅうしょうろうばい》、右往左往に逃げ散ります、蜘蛛《くも》の子を散らすが如く。
 世話人たちは腰を抜かして、弁解の余裕がありません。日蓮宗のお寺に属する坊さんは、驚いて立ち上る途端に、せっかく丹念に擂鉢《すりばち》にすり貯めて、その余汁をもって、道庵先生の揮毫《きごう》を乞わんものをと用意していた墨汁のすりばちを踏み砕いてしまいました。そこで余汁をすっかり身に浴びて
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