す限り、他人が七十二貫のものをかつげば、自分もそれをやれないとは言わない男ですが、単に、たれそれが材木をかついだから、お前も材木をかつがねばならぬという、無意味な競争心と、愚劣な模倣のために、焦躁《しょうそう》する男ではありません。
第一、慢心和尚が、いつなんらの目的で、どれほどの木柱をかつぎだしたか、そんなことを旅中の米友が知っているはずがなし、それに地形そのものが、また大いに趣《おもむき》を異にして、あちらは、四方山に囲まれた甲府盆地の一角であるのに、これは、田野《でんや》遠く開けて、水勢|甚《はなは》だ豊かに、どちらを向いても、さっぱり山というものは見えないようです。
それは黄昏のことで、多少のもや[#「もや」に傍点]がかかっているとはいえ、どの方面からも、山気《さんき》というものの迫り来る憂いは更にないから、どう考えても、ここ十里四方には、山らしい山というものは無いと思わねばなりません。
その代り、水の潤沢《じゅんたく》であることは疑いがないらしい。そうかといって、常陸《ひたち》の霞ヶ浦附近や、出雲の宍道湖畔《しんじこはん》のように、水郷といった趣ではないが、大河が四境を
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