も限りませんわ」
「心細いような、大胆なようなおたよりですね、もしかしての範囲があんまり広いのに、鳩の行程が定まり過ぎています」
「それでもかまいません、もしかして、わたしからの弁信さんへの手紙が、途中で、ほかの人に渡っても、その人が弁信さんへ届けて下さるかも知れませんもの」
「かも知れないことを、たよりになさるなら、いっそ、この鳩が途中下車した時に、ちょうど旅をして休んでいた弁信さんとやらの頭の上へ止まるかも知れません、と言ったらいかがです」
「そんなことも無いとはいえませんのよ」
「いよいよたよりないことですね、ほとんど当てのない海中へ、石を投げ込んで鯛を取ろうというような目あてですね」
「でも弁信さんは別物よ、あの人は、とても勘のいい人ですから、この鳩が、わたしからのたよりを持っていることを、頭の上を飛んで行く音で、ちゃんと聞きわけるかも知れませんのよ」
「ははあ、超人間の働きですねえ、第一、頭の上で飛ぶ音を聞きわけるというのが振《ふる》っていますね――そのくらいなら、眼をあげて見分けてもらった方がいいじゃありませんか」
「ところがね、弁信さんは眼が見えないんですよ、北原さん」
「え」
「あの人は、眼が見えない代りに、勘がおそろしくいいんですから、わたしのたよりを持った鳩と行逢えば、その羽の音で、きっとさとってしまいますわ」
「驚きましたね、いかに勘が鋭敏だといって、それが本当なら、まさしく超人間です」
北原が、やや茶化し気分のいい気持で相手になっていると、お雪ちゃんはいよいよ真剣になって、急に思いついたように、
「あ、そうそう、そういう場合は、弁信さんよりも茂ちゃんだと一層いいわ、あの子ならこの鳩を呼び寄せてしまいます」
「何ですってお雪ちゃん」
「あの茂ちゃんて子が、もし弁信さんと一緒なら占《し》めたものよ」
「茂ちゃんとは、何者です」
「可愛ゆい子で、弁信さんと大のなかよしですが、もし二人が一緒にいてくれると、弁信さんがこの鳩を勘でかんづいて、茂ちゃんに耳うちをすると、茂ちゃんが口笛を吹いて、この鳩を呼びとめてしまいます」
「なんだか、お雪ちゃんの話は、捜神記《そうじんき》を夢で見ているようで、我々には、いっこう取りとまりがないが……」
「いいえ、茂ちゃんていう子は、それは不思議な子よ、どんな荒い獣でも、空を飛ぶ鳥でも、地に這《は》う虫でも、みんな呼び寄せて、なつけてお友達にしてしまうんです、そのくせ、人間に逢っては、ずいぶん臆病なんですけれども、人間のほかのものなら、何でも怖いということを知りませんね、自分が怖がらないから、先方で自然にお友達になって来るのです――うちにいる時も、狼を呼びよせて、しょっちゅうお友達にして、自分の寝る縁の下へ住まわせて、御飯を分けて食べさせていましたが、そのくせ、わたしたちにそれが見つかりゃしないかと、ビクビクしていましたわ。狼よりわたしたちが怖いなんて、ずいぶん変った子でした」
「ほんとうにお雪ちゃんの周囲《まわり》には、変りものばかり集まるんですね」
「つき合ってみれば、ちっとも変っていないんですけれど、聞いてみると、とてもよりつけない人たちのように思われましょう」
「何しろ、その弁信さんと言い、茂ちゃんと言い、人間界の代物《しろもの》ではありませんな……それらを友達としているお雪ちゃん自身も、かなり問題の女ですね」
「そう見えますか知ら」
「見えますとも」
「見えないはずなんですがね、わたしこそ、世間の娘さんと全く同じことよ、心立ては悪かないけれど、そのくせ意気地なしで、自分には何の力もないのに、人様の面倒を見て上げたかったり、頼まれるといやと言えなくなって、あとでよけいな心配をしたり、好きになると、どうしても離れられなくなったり、からきし意気地なしの、お人よしなんですけれど……」
「どうして、そんなどころじゃありません、お雪ちゃんぐらいよく出来た娘さんは、全く珍しいと皆が言っています」
「この山の中では、珍しいんでしょう」
「ははは、お雪ちゃん、なかなかそらさない、そこがいいところだ」
「全くわたしはお人よしね、自分でもそう思いますけれど、強い人にはなかなかなれませんからあきらめています」
「ところがね、その人のいいところに、何ともいえぬつよみがあるのですよ、いわば犯《おか》し難いところがあるんです。たとえば、この山の中の冬ごもりでしょう、ここに集まっている者は、我々はじめ、いずれも、一かどのくせ[#「くせ」に傍点]者でしょう、御安心なさい、自分からくせ[#「くせ」に傍点]者という奴に、たいしたくせ[#「くせ」に傍点]者はありませんからね、それはそうとしても、いずれも寄り集まりの身性知《みじょうし》らずの人間共でしょう、その中で、たった一人の、紅一点たるお雪ちゃんに対して、
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