そのうしろには坊さんや神主が糸を引いているのもございます。それらが、殿様がおいでになった最初から変な眼で見てはいましたが、何しろ、駒井の殿様の以前の御身分が御身分ということを知っておりますものですから、うかと手出し、口出しをすることができませんで、今日まで引込んでおりました。
だが、殿様が全く見馴れない、聞き馴れない西洋流の仕事を、ドシドシおやりなさるのを見るにつけ、聞くにつけ、いよいよそれらの連中の業が煮えてたまらず、あれは切支丹だ、ヤソだ、国を取りに来る毛唐の廻し者のさせる謀叛《むほん》だ、ということが、殿様は御存じないかもしれないが、もう一部の間には、その疑いと、憎しみで充ち満ちておりました。
けれども、前申し上げる通り、殿様の以前の御身分が御身分であり、それに鉄砲の名人でいらっしゃること、造船所には心服している職工もあるし、大砲を据えつけてあるというようなことが、彼等を警戒せしめたのみではなく、表面上、まだこれぞという証拠を押えたわけではありません、そこで彼等は躍起となって、何か殿様の身辺から、アラを探そうと狙《ねら》っていたのですが、その網にひっかかったのがあのマドロスです。
先日逃げ出した時、あのマドロスが、あちらの縄張りの中で鶏を盗《と》ったとか、着物をかっぱらったとかいうことがあったそうです、それをとっこ[#「とっこ」に傍点]に取って、そうして今夕の狼藉《ろうぜき》が起ったのです。
ですから、あのマドロスはいわば人質で、どうも本当の目的は、駒井の殿様の方にあるようでございます。
殿様に向っては、直接《じか》に鋒を向けられないから、それでマドロスさんとやらを奪い取ってオトリにしようというのは、あの社会の奴等のよくやる手です。
え? あのマドロスさんとやらの行方ですか、それはちゃんと知っております、その洲崎の親分の家の土間にひっくくられているんでございます、それを明日は天神山へ連れ出して、そこで焼き殺すのだと、こう言っておりました。
ええ、それはあいつらのことですから、やりかねないことでございますよ。何しろメリケンの方の国では、文明国だなんぞと言いながら、黒ん坊をとっつかまえて、生きながら焼き殺すという話ですから、その伝でひとつ、あのマドロスを天神山で焼き殺してしまおうではないか。
なあに、毛唐の、切支丹の、ヤソの、日本の国を取りに来る廻し者の片割れだ、そのくらいにしてやったって、賞《ほ》められこそすれ、トガメが来るものか。
明日はやっつけてやれ、と、こんなことを、あの賭博打《ばくちうち》の子分共が口々に言っておりました。
だが殿様、どう御処分なさいますか、ここは充分考えどころでございますよ……」
と七兵衛が、ここまで語り来《きた》って駒井の様子を窺《うかが》うと、駒井の面《おもて》に、言わん方なき苦悶《くもん》の色が表われたのは事実です。
ほとんど、どうしようとの思案と、返辞とに窮してしまったらしい。マドロスを取返しにこちらから押しかければ、いわゆるなぐり込み[#「なぐり込み」に傍点]だ、いかに腹が立てばとて、駒井能登守ともあろうものが、天保水滸伝の向うを張って、博徒を相手のなぐり込みが、できるものか、できないものか。
だがまた、これをそのままにして置けば、みすみす頼りない外国の漂浪者を、無残なる私刑者の手に、見殺しにしなければならない、これをしもまた忍び得ることかどうか。
これを忍んでいれば、その次には大挙して、この陣屋と、造船所とを襲うに相違ない。たかの知れた博徒共を追払うは何のことはないとしても、彼等に口実を与えた以上は、ここに落着いて事業の進行は覚束ない。まかり間違えば、吾々一同の生命の危害の問題だ。
ああ、これは自分の思案に余るワイと、さすがの駒井甚三郎の面に、苦悶の色のいよいよ濃くなるのを隠すことができません。
それを見て七兵衛が、静かに膝を進ませて言いました、
「殿様、御心配なさいますな、向うはたかのしれた賭博打《ばくちうち》でございます、あれを駒井の殿様が、まともにお考えになっては困ります、まして、まともにお相手になった日には、あいつらと、その黒幕にいる人たちの思う壺でございます。
こんなのにはやっぱり裏をかいてやらなければなりません、いかがでございましょう、出過ぎた申し分でございますが、こうして参り合わせるも何かの御縁、この七兵衛にひとつ、お任せ下さいませんでしょうか」
と言われて、駒井が、苦悶の面をパッとあげて、改めて、七兵衛の頭から足の先までを見直しました。
今までは、単純なお使役の青梅在のお百姓とばかりあしらっていたこの男としては、意外千万な、大胆不敵の申し分である。
第一、これだけの報告を、いつ、どうして聞き出したかさえ大きな疑問であるのに、不肖ながら
前へ
次へ
全129ページ中124ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング