、いや、どうも、かりにも人様のお家の者をつかまえて、与八なんぞと呼捨てにしては済まないが、あの与八さんなんぞも、あれで親無し子で育ったということだから、ずいぶん、気をつけてやっておくんなさい。このお坊ちゃまなんぞは、お松さんという心がけのよい娘さんの手で育てられているから幸いだし、あの与八さんも、こちらの大先生《おおせんせい》という大した人物に拾われて育てられたのが神様の恵み、この後もあることだから、与八の面倒も見てやっておくんなさい」
「何をおっしゃるのです、おじさん、与八さんには、わたくしの方でこそ、いろいろとお世話になっていますよ」
「おたがいに面倒を見て、助け合ってな、いよいよ立派な人になっておくんなさい」
「そのつもりではおりますけれど」
「さあ、出かけようなあ、遅くも三日のうちには返事を持って来ますよ。どうれ、お邪魔を致しました」
「まあ、よろしいじゃありませんか、たまのことですから、もう少しごゆるりと。それに与八さんもここへ呼びましょう」
「なあに、あの人には昨日逢ったばかりだからいい、それに善はいそげ、この足で……どうれ」
 七兵衛は炉辺から草履《ぞうり》をはいて土間を出ながら、また立ちもどり、
「お松さん、私の来たことは内証だよ」
と、お松の耳に口を当てて、ささやく。
「え、ようござんすとも、そんなことは少しも御心配なく……」
 お松の呑込みをあとにして、この邸を立ち出でてしまいました。

         六十三

 即日発足した七兵衛、生地より関八州、江戸から上方筋《かみがたすじ》へかけては、めまぐるしいほどの旅をつづけているが、房州路へは全くはじめてです。
 船を嫌って、内房をめぐるべく歩を取った七兵衛――江戸を離れようとする時に、乗込んで来た一隊の兵士と出逢い、直ちにこれが会津の兵だということに気がつきました。
 会津の兵が江戸にとどまるのではなく、このまま京都へ馳《は》せ参ずるのだとさとりました。
 それと、もう一つは北へ向って走る飛脚を一人見ました。飛脚の風をしているが、それは飛脚ではない、士分の者だ、ということを七兵衛が見て取りました。そうしてこれは水戸へ向って急ぐのだ、気のせいか山崎譲の後ろ姿のようにも見える。これらのものに行違うと、七兵衛の足は外房に向って走りながら、心はどうしても京阪に向って飛ばずにはおられぬ。
 その日、千葉の町で泊って、翌日はもう洲崎着。
 駒井の陣屋をたずねると、直ぐにわかる。来意を告げると直ちに会える。
 七兵衛は、そこで、はじめて駒井甚三郎に対面の挨拶をしました。
 世が世ならば、土下座をしても、対談はかなうまじきはずなのを、無雑作《むぞうさ》にその室に通されて、向き直って椅子に腰をかけさせられて、七兵衛がこそばゆい心地。
 椅子なんぞに腰を下ろしたことはないのに、こういった人品と当面して、会話を取りかわすなんぞということは、今までに経験のないことでした。
 それは神尾主膳のような人には、ずいぶん勝手な立居振舞をしたりしてもいいように出来ているが、この人との対面は、調子の違うこと夥《おびただ》しいと、さすがの七兵衛の腰がきまらないようです。
 そうして、せっかく、近くすすめてくれた椅子を、わざと自分でしりぞけて、絨氈《じゅうたん》のようなものが敷いてある板の間へかしこまってしまいました。
「それは、いけません、おかけなさい、こういう室では、腰をかけて話さないと、かえって失礼に当るものです」
 駒井から説かれて、七兵衛がおそるおそる、また椅子に取りついて、それを与えられた距離よりは、ずっと遠くへひっぱって行き、その上へちょこなんと腰をかけたものです。
 例によって、金椎《キンツイ》が出て来て茶煙草をすすめる。七兵衛はお辞儀をするばかり。
 そこで七兵衛は、お松からの手紙を取り出して恭《うやうや》しく駒井に捧げる。
 駒井は、その場で封をきって、サラサラと読み流し、
「よくわかりました、どうも御苦労でした。お前も、お松のいるところと同じ土地の人ですか」
「はい――二三里隔たっておりますが、まあ、同じ土地といったようなものでございます」
「いや、何かと、家の者共がお世話になります、拙者も子供のこと、お松のこと、絶えず気にかからないではないが、何を言うにも今は閑散の身で、かえって多忙なため、沙汰無しでいました、そのうち、あれを呼び寄せるか、こちらから使を出すか、どちらかせねばならぬと思っていたところでした」
「お松という子は、ふとした縁で、私が世話をして来たこともございますが、あれはたしかな子でございます、あれに預けてお置きなされば心配はございませんけれど、若様のためには親御様のお手許《てもと》で御養育なさるのが本当かと存じます」
「それも考えないではないが、今のところ、
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