毒です」
「なあに、そんなことがあるものか、貴様の眼のためにはいっち[#「いっち」に傍点]よくきく薬だろう、さあ、もう一番、うんと眼を据《す》えて、あの金の鯱を拝め」
「もうたくさんでございますってことよ、眼を据えて見たって、すがめて見たって、あれだけのものじゃございませんか」
「ちぇッ、日頃の口ほどにない、たあいのない奴だ、いったい、がんりき[#「がんりき」に傍点]ともあるべき者が、尾張名古屋の金の鯱を見るのに、そんな眼つきで見るという法はあるまい」
「だって、旦那、こうして見るよりほかには、見ようは無《ね》えじゃありませんか」
「もっと眼をあいて見ろ」
「眼をあけろったって、これよりあけやしませんよ」
「そんなことで見えるものか」
「見えますよ……」
「なあに、そんなことで見えるものか、さあ、こうして頭を真直ぐに、性根《しょうね》を臍《へそ》の上に置いて、もう一ぺん眼を据えて、金の鯱を拝め」
「そんなことをなさらないでも、がんりき[#「がんりき」に傍点]は盲目《めくら》じゃございませんぜ、これでも人並すぐれた眼力《がんりき》を持った百でござんすぜ」
「そのがんりき[#「がんりき」に傍点]を見直せ、あの天守は、下から上まで何層あると思う――」
「そりゃ、下の石畳から数えてみりゃ五重ありますよ、その五重目の屋根のてっぺんに、金の鯱が向き合って並んでいやすよ、南が雌で、北が雄だということでござんす、ああ見えても、雄が少し小《ちい》せえんだと聞きました、そんなことよりほかには、くわしいことはあんまり存じませんね」
「よしよし、それはその辺でいい。それから一つ、引続いてがんりき[#「がんりき」に傍点]、貴様に少したずねたいことがあるのだ」
「改まって、何でございますか」
「貴様は、それ、柿の木金助のことを詳しく知ってるだろう」
「え、なんですって?」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は、空《そら》とぼけたような声をして聞き耳を立てながら、草鞋《わらじ》の爪先で、ポンと煙管《きせる》の雁首《がんくび》をたたく。
「柿の木金助の一代記を、お前は詳しく知っているだろうな、がんりき[#「がんりき」に傍点]」
「柿の木金助ですって、そりゃ何でございます、ついお見それ申しましたが」
「知らんのか」
「え、存じません、一向……」
「商売柄に似合わねえ奴だ、貴様は」
 南条にさげすまれて、がんりき[#「がんりき」に傍点]は一層とぼけ、
「そうおっしゃられちまっては一言もございません、何しろがんりき[#「がんりき」に傍点]は、御覧の通りの三下奴《さんしたやっこ》でございまして、先生方のように、字学の方がいけませんから、せっかくのお尋ねにも、お生憎《あいにく》のようなわけでございまして……」
「字学の方じゃないのだ、蛇《じゃ》の道は蛇《へび》といって、貴様なんぞは先刻御承知だろうと思うから、それで尋ねてみたのだ」
「ところがどうも、全く心当りがねえでございますから、お恥かしい次第でございます」
「ほんとうに知らねえのか、のろまな奴だな」
「これは恐れ入りますな、知らずば知らぬでよろしい、のろま[#「のろま」に傍点]は少し手厳しかあございませんか。いったい何でございます、その柿の木てえ奴は……」
 その時に、南条に代って五十嵐甲子男が、いまいましがって、
「ちぇッ、知らざあ言って聞かせてやろう、柿の木金助というのは、あの金の鯱を盗もうとして、凧《たこ》に乗って宙を飛ばした泥棒なんだ」
 そこでがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は、
「ははあ……」
と、仔細らしく頤《あご》を二つばかりしゃくり、
「なるほど、なるほど、そんな話も聞きましたねえ、凧に乗って尾張名古屋の金の鯱を盗みに行った奴があるてえ話は、餓鬼《がき》の時分からずいぶん聞いてはいましたが、そいつがその柿の木泥棒という奴でござんしたかい」
「柿の木泥棒と言う奴があるか、柿の木金助だ、貴様にでも聞いたら、少しはわかるかと思ったのだ。あの柿の木金助という奴は、どういう思い立ちで、あの金の鯱《しゃちほこ》を盗もうという気になったのか、またその目的を達するために使用した凧《たこ》というのが、どのくらいの大きさで、どういう仕掛で、どうしてそれに乗り、それを揚げる奴がどうしたとか、こうしたとかいうことを、詳しく知りたいがために、貴様をワザワザここまで連れて来たのだが、こっちに教えられてアワを食うような間抜けじゃあ、話にならん――」
「どうも相済みません、子供の時分から、柿の木から落っこちると中気になる、なんぞとオドかされていたものですから、柿の木の方にあんまりちかよらなかったせいでござんしょう。ですが旦那、その凧に乗ったてえ奴は、作り話じゃございませんかね」
「いいや、まるっきり作り話とは思えな
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