》を聞いていると、金城湯池《きんじょうとうち》をくつがえすような気焔だけはすさまじい。
「家康が、特にこの名古屋の城に力を入れたのは、何か特別に家康流の深謀遠慮があってのことに相違ない」
「僕は、さほど深謀遠慮あっての取立てとは思わない、単に、清洲《きよす》の城の延長に過ぎないではなかろうかと思う」
「それだけじゃあるまい」
「附会すればいくらでも理窟はつくが、清洲なら清洲で済むのを、あそこは水利が悪い、大水の時には、木曾川が逆流して五条川が溢《あふ》れる、といったような不便から、最寄《もよ》りの地を物色して、ここへ鍬入《くわい》れをしただけの理由だろうと思う、ここでなければならんという要害の地とも思われないね」
「織田信長が生れたところが、この城の本丸か、西丸あたりにあたるというじゃないか。そうしてみると、やっぱり天然に、大将のおるべき地相か何かが存在していたものかも知れない」
「いずれ、名将や、名城が出現するくらいの土地だから、何ぞ佳気葱々《かきそうそう》といったようなものが、鬱勃《うつぼつ》していたのだろう」
「しかし、家康のことだから、ここを卜《ぼく》して新藩を置くからには、やっぱり相当の深謀遠慮というやつがあり、この城地の存在に、特別の使命が課せられていると見るのが至当だ。太閤の大坂城から奪って来た名宝という名宝は、たいてい江戸までは持って行かないで、この尾張名古屋の城に置き残してあるということだ。その辺から見ても、家康の心中には、何か期するところがあったに相違ない。一朝天下が乱れた時に、どんなふうにこの城が物を言うか、それはこうして、金の鯱を眺めていただけではわからない」
「もとより、家康の心事もわからないが、あの時に進んで主力となって、この城を築き上げた加藤肥後守の態度もわからないものだ。そこへ行くと福島正則の方が、率直で、透明で……短気ではあるが可愛ゆいところがあって、おれは好きだ」
「うむ、あれは清正が、毒饅頭《どくまんじゅう》を食いながらやった仕事だから、一概に論じてはいけない」
 南条は感慨無量の態《てい》。
 そこで暫く途切れた二人の会話の後ろには、名城取立て当時の歴史と、人物とが、無言のうちに往来する。
 慶長十五年六月二日より事始め。家康の命によって、その第九子義直のために、加賀の前田、筑前の黒田、豊前《ぶぜん》の細川、筑後の田中、肥前の鍋島及び唐津の寺沢、土佐の山内、長門《ながと》の毛利、阿波《あわ》の蜂須賀、伊予の加藤左馬之助、播磨の池田、安芸《あき》の福島、紀伊の浅野等をはじめとして、肥後の加藤清正に止《とど》めをさし、西国、北国の大名総計六百三十八万七千四百五十八石三斗の力が傾注されているこの尾張名古屋の城。
 なかにも加藤肥後守清正は、父とも、主とも頼みきった同郷の先輩豊太閤歿後の大破局の到来を眼前に見ながら、その遺孤を擁《よう》して、日の出の勢いの徳川の息子のために、自ら進んでその天守閣を一手に引受けて、おのずから諸侯監督の地位に立ちつつ、一世一代の花々しい工事に奉仕したその心事。
 豊臣勢力をして、その犠牲を尽さしめた徳川の城。
 ここに慶応某の月、今や歴史は繰返して、落日の徳川の親藩としてのこの名城の重味やいかに。
 存在の価値の評価は如何《いかん》。
 このほどの、長州征伐の総督の重任を蒙《こうむ》ったのは、この城の城主、尾張大納言徳川慶勝ではないか。
「どうだ、この城を築く時の加藤肥後守の立場と、最近の長州征伐を仰せつけられた尾張殿の立場と、ドコか共通したところはないか」
「そうさ、今の尾張公は、加藤清正ほどの英雄でない代り、まだ、あれほど突きつめた悲壮な境遇にも立っていない。そもそも、長州征伐は、江戸幕府というものから見れば大醜態だが、尾張藩というものから見れば、成功の部だとされている」
「そうさ、第一次の長州征伐に、一兵を損せずして平和の局を結ばしめたのを成功と見れば、それは尾張藩の成功に違いないが、あれが手ぬるいから、第二の長州征伐が持上って、徳川方があの惨憺《さんたん》たる醜態を曝露《ばくろ》したと見れば、最初の成功はマイナスだ」
「だが、ともかくも、最初の長州征伐の成功を、成功として見れば、これは尾張藩の成功に違いない。まして昔の加藤清正のように、敵対勢力のために、悲壮な心で、火中に栗を拾わねばならぬ羽目《はめ》とは違い、宗家のために、兵を用いて功を奏したという面目になるのだ。そうして、第二次の長州征伐の失敗というのも、失敗の原因は、徳川宗家というものの知恵が足りなかった、威力が足りなかったという結果だから、尾州だけを責める者はない。第一次の長州征伐の成功を、尾州の成功として……」
「まあ待ち給え、君は、第一次の長州征伐の成功成功と言いたがるが、あれは尾張藩の功ではない
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