めなければいけません――と気色ばむと、主膳がニタニタと笑い、
「廻しをとるのは、おいらんばかりじゃあるまい」
と言ったのが、いつになく下品に、侮辱的に聞えたので、お絹がむらむらとしました。
三十六
その翌日、ひょっこりと姿を現わして、縁に腰を打ちかけた例の如く旅ごしらえの七兵衛、
「どうも御無沙汰を致しました」
「あんまり御無沙汰でもなかろうぜ」
「つい、口癖になってしまいましてな」
早くもかます[#「かます」に傍点]を取り出して、煙草にかかる。
「商売の方は、どうだい」
と主膳がたずねる。
「へ、へ、ちょっと当りがつくにはつきましたが、どうも、はや、あんまり子供じみた推量が、自分ながらおかしいくらいなものでございました」
「何を言っているのだ」
「いや、殿様にもかねて御心配をかけましたことでございますが……」
「ふむ――」
と主膳はその時、槍の穂先を拭っていたが、万事心得顔に、
「あんまり高上りをするとあぶない、もうその辺であきらめた方がよかろう」
「お言葉ではございますが、ここまで当りのついたものを、このままではあきらめられません」
「当りがついたというのは、つまりその有無の境がハッキリしたというだけの意味だろうなあ。つまり、お前の目をつけた代物《しろもの》が、現在でも存在しているか、いないか、存在しているとすれば、どこにあるか、その当りがついたというわけだろう。まさか、いくらお前でも、まだその現物を手に入れたというわけじゃなかろう、どんなものだ」
「お察しの通りでございます」
「うむ、実は拙者もお前からの頼みで、あちらこちらを聞き合わせてみたがな、秘密中の秘密といったようなわけで、要領を得たような得ないような、近頃の難物だが、そのうちの幾つかは、あの才物の勝安房《かつあわ》めがたしかに押えているという話も聞いた。また小栗上野《おぐりこうずけ》が、ひとりで、そっと持ち出して赤城山の麓にうずめて置くなんて、まことしやかに言う奴もある……」
「いや、どうも、いろいろの取沙汰はございますがね、なぜか存じませんが、残っているには残っているに相違ございませんな。残っていさえすれば、ちょっと一枚だけ暫時拝借してみたいなんて、だいそれた御本丸まで忍び込むなんぞと、ずいぶん、七兵衛も高上りを致したもんでございますが、成上り者の地金は争われません、それは自分ながらはや全くお気の毒みたような、甘い了見でございました」
「どうしてな」
「まあ、早い話が、あの千枚分銅の一枚が、かりにどこかに残されてあると致しまして、殿様、その一枚の目方が、おおよそどのくらいあると思召《おぼしめ》します」
「左様――なるほど、形はよく知っている、それに『行軍守城用、勿作尋常費』と刻印があることも聞いている、大きさもおおよそのところはわかっているが、目方はどのくらいあるかなあ、それはちょっと聞き洩《も》らしたよ」
「七兵衛も、そこに抜かりがございました。御宝蔵へ忍び込み、まんまとちょろまかして、小脇にかいこみ、さて花道へかかって、四天を切って落しの、馬鹿め! と大見得を切って、片手六方で引込みの……と至極大時代のお芝居がかりで当ってみましたが、なんの、殿様、あの千枚分銅の一箇の目方が四十八貫目あると知った日には、うんざり致しました」
「ナニ、四十八貫目……それが一かたまりの金《きん》か」
「間違いございません。四十八貫目ではいくら金でも、ちょっと手に負えませんな、よしんば、盗み出したところで、張貫《はりぬき》の小道具のように片手に引っかかえるというわけには参りません、ようやっと持上ったにしたところが、持ち出すまでには夜が明けちまいます。まさか大八車を御本丸へ引き込んで置いて、盗み出すわけにもいきますまいしねえ」
「そうか――四十八貫の金では、かなり大したものだな」
「積ってごろうじませ、千枚分銅と申しますのは、こいつが一箇で大判が千枚取れるというんでございます、今の値段にしたらどのくらいになりますか、かりに大判一枚を十両としますと、十枚の百両、百枚の千両、千枚の一万両、それを十層倍に見ますと十万両、そんな値段もございますまいが、一匁を五両と致しますと、四十八貫目では二十四万両、そいつを数知れずこしらえて、秀頼様のために残して置いたんですから太閤様でなければ、やれない仕事でございますな。権現様も、大阪に集まる浪人衆には怖れなかったが、この黄金の力を怖れたそうでございます。そいつが権現様の手に入ってから、後世、だんだんにつぶされてしまったのは、どうも時勢やむを得ないこととは存じますが、惜しいものでございます。どうか、一つだけは現物のままで永久に残して置きたいとこう思い込んだものですから、実は七兵衛とても欲にからんだというばっかりではなく、そう申
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