《てんめん》する。駒井の家に引取られて、殿の寵に溶けるような思いをしているかと思えば、むらむらとわが魂が戦《おのの》く。
柔順な、純真なあの子を、わが心のひがみから、あまりにも虐げ過ぎたと自覚した時には、たまらない悔恨に責められる。
お君を想い出して、次に竜之助のことに及ぶと、お銀様の全身の鱗が逆立ってくる。そのもだもだした、いらいらした風情で煽《あお》られると、居ても立ってもいられなくなる。
その時は、どうかすると、眼をつぶって、高いところから急にかけ下りることがある。
肉の中にうめく、八万四千の虫が、肉の中でいら立つと見える。
たまらない。その時は、夢中に馳け出して、やっと踏みとどまったところもまだ高い。もしそのところが断崖であったら、その肉体は砕けてしまったでしょう――
平地に至るまでには、自分の屋敷へ帰るまでには、まだまだ多分の距離がある。そこで、踏みとどまったお銀様は、またぐったりと身を落して、草原の上から、遠くつづく、わが家の森を見る。
山も、森も、水も、藪《やぶ》も、見渡す限りは自分の家の屋敷内である――ここは、過ぐる夜、弁信法師と二人で、わが家の焼ける炎を見て、思う存分|話《はな》し敵《がたき》となったところだ。
その時、弁信は何と言った。
三十
お銀様は、弁信の言葉を思い出しながら、当夜の業火のあとをつくづくとながめる。
火が、すべてを焼きつくす革命の痛快に驚喜したのも何の事――その時の業火のあとを少し避けて、今し、盛んなる再建工事が、前よりも一層の規模を以て、進行されているではないか。
全く、革命がどこにある。絶滅がどこにある。浄化が、魔化が、それが今、どこに権威を示しているのだ。
復興が早い。焼け尽したと見せた蓆《むしろ》を、また直ちに裏返して青々としき直す、人間の小賢《こざか》しい働き。自然はまたいい気になって、材料を供している。
お銀様は充分の冷笑をたたえて、その新築の作事工場から焼野原を見ました。
その焼野原のまんなかに、そそり立つ巨大なる一本の木柱を見出した時に、お銀様は、またもや、極めて皮肉なる冷笑を禁ずることができませんでした。
お銀様は、その日のことを狂言と見ている。父の伊太夫が、尊信|措《お》かざるところの慢心和尚という坊主を、役者と見ている。あの災難の後、父がわざわざあの坊主を屈請《くっしょう》して、施行と供養を催して、自他の良心を欺かんとしたあの唾棄すべき喜劇。滑稽とも、悲惨とも言い様のないほどに、厭悪《えんお》を感じているのは事実です。
祖先以来、積み蓄えた金銀財宝を七日の間、あらゆる人に施行してみたところで、それが何だ。
ことにあの気ちがいじみた、まん円い坊主が、力自慢をこれ見よがしに、あの木柱をかついで来て見せて、俗衆をあっといわせ、その図を外さず、わざと自分の握り拳かなにかを振りかざして、グッと自分の口中へ入れて見せてのしたり[#「したり」に傍点]顔。
虫酸《むしず》が走るではないか。父は手もなく、あの山師坊主に乗ぜられているのだ。わが藤原の家に起り来りつつある多年の矛盾、撞着、滑稽、紛糾、圧迫、争闘、それが膿瘡《のうそう》となり、癌腫《がんしゅ》となって、今日まで呪われて来た報いが、あんな坊主にわかってたまるものか。あの坊主の、あんなに見え透いたお芝居で、この悲喜劇の幕が切れるものなら、切ってごらん。
あの木柱は、あれは何です。
あれをかついで来た、あの気ちがい山師坊主の怪力とやらが、そんなに有難いものですか。
牛や馬が無いじゃあるまいし。
それを、仔細らしく、あの木柱へ筆太に書き立てたあの文句は何です。
そうして、仔細らしい文句を、人を食ったような、まじめなような、物々しい気取りで書き納めて、それを押立ててその下で、伊太夫はじめ一族が参列の施餓鬼か、施行か知らないが、その物々しさと、あの坊主の悪ふざけ。藤原の家の財宝を、わがもの顔にふりまいて、あまねく一切に慈悲善根を衒《てら》う憎々しさ。
それを、委細かしこまり上げて、いちいち、渇仰尊信して、命《めい》これ従うばかばかしさ。あんな間抜けのお芝居で、この宿業とやらが救われ、この亡ぼされた魂とやらが浮べたらお気の毒。
滑稽の沙汰《さた》だ。まさに百分の嘲笑に価すべき振舞だ。
その滑稽と、嘲笑の的となって残されているのがあの木柱ではないか。卒塔婆《そとば》とかなんとかいう人もある。自分の眼から見れば、慢心坊主という山師坊主が、わが藤原家を愚弄《ぐろう》に来たその記念として残されているものだ。
白々しい、おかしらしい、癪《しゃく》にさわる――
お銀様は、慢心和尚という坊主を快からず思っている。あの時の施行供養を、緞帳芝居《どんちょうしばい》も及ばない愚劇
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