まり、つきつけられた米友の面《かお》を見まいとして、両手で自分の面をかくします。
「ところが、生きてるんだよ、この通り、生きてるんだ、間違いはねえのですからね、よっちゃん、そんなに、むずからねえでもいいや、正《しょう》の米友だよ」
「いいえ、わたしの知ってる米友さんは、たしかに死にました」
「ちぇッ、だって、当人がここにいて、生きていると言ってるじゃねえか」
「そんなはずはありません、友さんは死んじゃったのです、お前さんは別の人か、そうでなければ、米友さんの幽霊に違いありません」
「ちぇッ――別の人がおいら[#「おいら」に傍点]だなんて言うかい、ニセモノをこしらえたって、ニセモノ栄《ば》えがしねえじゃねえか」
「放して下さい――怖いから」
これはホンの一瞬時の出来事でしたが、この辺に至って第三者が承知しません。
第三者は皆、米友を以て、兇暴性を帯びた色きちがいかなんぞと勘違いをしていないものはない。娘を引離すより先に、米友を手ごめにかかりました。
その時、米友の頭脳《あたま》にハッとひらめくものがあったのは
「よっちゃん、お前、ほんとうにおいらが死んでると思ってるのかい。そうだそうだ、それも無理は無《ね》え、それから後のことをお前は知らねえのだ。おいらは助かったんだよ、尾上山《おべやま》から突き落されて、一旦は死んだが、助ける人があって、息を吹き返したんだぜ。それをお前は、本当に死んだものと思いこんでいるんだろう。助かったんだよ、助かって、そうして今まで生きていたんだ、今まで生きているうちには、ずいぶん辛《つら》いこともあらあ――」
この弁明が、意外に利《き》いたらしいので、娘が面を上げ、
「ほんとう――」
「ほんとうだとも、話せば長いけれど、盗みもしねえのに、盗人《ぬすっと》だなんて人違いでお処刑《しおき》に逢って、ほら、尾上山の上から突き落されたには落されたけれど、人に助けられちまったんだ。その人というのは、ほら、お前も知ってるだろう、船大工の与兵衛さんと、お医者の道庵先生でね、その先生のおともをして、おいらは昨日、こっちにやって来たばかりなんだ」
「ほんとうなの、友さん」
「ほんとうだよ、ほら、幽霊じゃねえや、足があるだろう」
そこで、米友は、また二三度飛び上って、足のあることの証明をして見せました。
娘は笑いませんでした。笑わないけど、恐怖は早くもその面から消え失せて、
「ほんとうなの?」
「嘘じゃねえというに。お前は疑ぐり深え人だなあ」
「ほんとうにお前が米友さんなら、わたし、こんな嬉しいことはないわ」
「おいらだって、おんなじことだよ、お前がほんとうによっちゃん[#「よっちゃん」に傍点]なら、その次に嬉しくってたまらねえんだ」
と米友が言いました。心あわてているとはいえ、米友の言うことにはかなり不透明なところと、ひとり合点《がてん》もあるらしいが、娘を相当に納得せしめ得たことは疑いないらしい。
「まあ、嬉しい」
「おいらも、嬉しい」
「友さん、まあ、よく無事でいてくれたわねえ」
「あ――おいらも苦労したよ」
「ほんとうに――」
二人は、そこで、人目も恥じずに抱き合ってしまいました。
知ると、知らざると、弥次であると、弥次でないとにかかわらず、この急激なる妥協が、すべてのあいた口をふさがらせないことにしました。
二十八
この人騒がせも、後になって接待の茶屋で、二人の無邪気な会話を聞いていれば、なんのことはないのです。
読者諸君は御存じのことでしょう、伊勢の古市《ふるいち》、間《あい》の山《やま》の賑《にぎ》わいのうちに、古来ひきつづいた名物としての「お杉お玉」というものの存在を――
そうして米友の唯一の友であり、兄妹であるというよりは、一つの肉体を二つに分けて、その表の方を米友と名づけ、その裏をお君と名づけたかのようにしていた、そのお君という子の芸名がお玉であったことを――
それと同時に、お君のお玉と相棒になって、胡弓をひき、撥受《ばちう》けをいとなんで、さのみ見劣りのしなかったうたい手に、お杉がなければならなかったことを――
今、ここで米友が「よっちゃん」と呼びかけてかぶりついた踊り子の娘が、すなわちこのお杉でありました。
まあ、二人の無邪気な会話を聞いていればいるほど、筋はよく通ったものです。
「ねえ、友さん、君ちゃんにも、お前にも行かれてしまったあとの、わたしのツマらないこと察してごらん、一日だって忘れたことはありゃしませんよ、いどころぐらい知らせてくれたっていいじゃないの」
「そりゃあね、知らせるのは雑作もねえが、おいらたちは罪人扱いなんだからな、うっかり便りをしようものなら、こっちも危ねえが、お前たちの方にも、かかり合いになると悪いと思ってね」
「友さん、そ
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