郷の方へ連れ戻されているかも知れません、時々、あちらからあの子の声が聞えます。弁信さん――いま富士山の頭から面《かお》を出したのはお前だろう、なんて――あの子が海岸を馳《は》せめぐって、夕雲の棚曳《たなび》く空の間に、私の面を見出して、飛びついたりなぞしている光景が、私の頭の中へ、絶えずひらめいて参ります。ですから、私はあの子に逢いたければ、甲州から、いっそ相模へ出て、一息に船で渡らせてもらいさえすればよかったのです、必ずあの子に逢えたのです。それにもかかわらず、私は全くそれと別な方向を取って、信濃路へ分け入りました。信濃路も、この奥深い、日本の国の天井といわれるところまで分け入って参りました。道程は決して、滑らかなものとのみは申すことはできませんのでございます。ところもところでございましょう、時も時でございましょう、旅に慣れた身の上、むしろ旅を生涯とする私の身とは覚っておりますけれども、やはり雪の降る日には寒いと感じますことは、皆様も、西行法師も、私も、変ることはございません――里でたずねられました時、白骨まで参ります、と答えましたところが、里の人がわたくしを拝みました。それでは、もしや、あなた様は、伝教大師《でんぎょうだいし》の御再来ではございませんかといって、この弁信を伏し拝んだ光景が、はっきりと私の頭にうつりましたから、私は驚いてしまって、その人の手を取って起き上らせ、勿体《もったい》ない、どうしてわたくし風情《ふぜい》が、古《いにし》えの高僧のお生れかわりだなんて、僭越《せんえつ》も僭越――左様なことをおっしゃられると、私は冥加《みょうが》のほどが怖ろしうございますといって、その人の手を取って、私がその方の前に平伏してしまいました。だが、その方は、どうしても、あなた様は伝教大師の御再来に相違ないといって、わたくしを立てて、御自分が、わたくしの前に跪《ひざまず》いて頭をお上げなさらないのに、私は窮してしまいました――そんなようなわけで、私はこの際の白骨入りは、ほとんど凡人業《ぼんじんわざ》とは見えないほどの冒険と見えたのでございましょう――事実、私は御覧の通りの瘠《や》せ法師で、大きな胆力も無ければ、勇気のほども微塵《みじん》あるのではございません、ただ人生を旅と心得ていることだけを存じておりますものですから、到り尽すところが、すなわち私の浄土と、こう観念を
前へ 次へ
全257ページ中41ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング