つわるわけには参りません――わたくしは、泣けるようになったお銀様の、あの心持を喜ばずにはいられません。無論、あれは喜びの涙でないにはきまっていますけれども、未《いま》だ決して懺悔《ざんげ》の涙でもございません、何とも名状のできない号泣でございます。けれども、泣けるようになったお銀様、そうして泣きたくなった時に、思いきり泣くことを許されているお銀様を、幸福だと信ぜずにはおられません。そこで、私は快くこうして旅路に出て参ったのでございます。そういうわけで、お銀様には親しく御挨拶をしないで出立して参りましたが、御主人伊太夫殿へは、お世話になったお礼を述べて参りました。この錫杖《しゃくじょう》と鈴でございますか――これは、その時の伊太夫殿から餞別《せんべつ》にいただきました。そうしてこれからわたくしはどこへ行く? とおたずねになりますか。はい、もうやがて間近いところの乗鞍ヶ岳の麓《ふもと》の、白骨の温泉まで私は参るその途中なんでございます……
 どうして、また今時分、信濃の国の白骨の温泉なんぞへ行く気になったのか――それは一言でお答えを致すことができます。お雪ちゃんがいるからでございます、あの子がしきりに、わたくしを招くものでございますから――といったところで、手紙を一本もらったわけでもなし、飛脚が届いたというわけでもありませんが、どうも、あのお雪ちゃんが絶えず、わたくしに呼びかけているのが、かわいそうで、気の毒で、たまらない気がするものですから、どうしても行って上げたい気になってしまいました。私の逢って上げたいと思う人は、お雪ちゃんばかりではありません、清澄の茂太郎、あの子にもめぐり逢いたくってたまらないのですが、逢いたくって逢わずにいるうちにも、あの子のは心配はありません、あの子はどこへ行っても人に可愛がられます、人に可愛がられ過ぎるから、人以外の者にかえって親しみを感ずるような子供でございますから、高山深谷、あるいは大海原の只中《ただなか》、あるいは無人の原野の中へ一人で抛《ほう》りっぱなしにして置きましても、心配というものは更にございません。それに比べるとお雪ちゃんはかわいそうです、茂太郎がわたしに逢いたがっている心と、お雪ちゃんがわたしを頼りにする心とは、性質が違うのでございます――私の今の感覚によって想像してみますと、茂太郎は海の方へ出ていますね、多分、房州の故
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