《ひきこも》っているということ。
 これが、奥方が結婚最初からの約束でもあり、自分の理想でもあったらしく、そこに引籠って、その生活を楽しみ、仏学を究《きわ》め、和歌をたしなむことに、余念がないという。
 主人へは、そのお気に入りの者で、賤《いや》しからぬ召使の女、それは主人が、かねて内々目をかけていた若い娘を推薦して置いて――事実上の円満離縁をテキパキと手際よくかたづけて、この新生活に入ってしまったのです。
 それは上述の如く、結婚以前に、世継《よつぎ》が定まる機会を待って、この事あるべき充分の理解が届いていたから、当主も干渉を試むる余地がなく、かくて理想通りの――形をたれこめて、心を自由にする新生活が得られたわけです。さだめてお淋しいことでしょうという者もあれば、ほんとにお羨《うらや》ましい身分という者もある。
 惜しいという者もあるし、惜しからずという者もある。
 同じ隠退なら、尼寺にでも入りそうなものを、あの水々しさそのままで行いすまされようとなさるのはあぶない。
 銀杏加藤の家ではない、実は夫人の生家の方が、加藤肥後守の、現代に於てはいちばん血統に近い家柄であるということは、誰も言うことらしい。
 名古屋に加藤家も多いけれど、系図面から純粋に、最も由緒の正しい加藤肥後守の後裔《こうえい》は、あの銀杏加藤の奥方、ただいま問題の、名古屋第一のその当人の生家がそれだという評判は、この席の中にも熟してきました。
 その時、急に、何か思い出したように、醒ヶ井が立ち上って、自分の部屋へ取って返したかと思うと、一枚の折本を手に持って、
「皆様、これを御覧下さい、五年前のその時の、これが問題の品定めでございます」
 投げ出された一枚の大判の紙の折本になったのが、少なからず一座の興を集めたのを、初霜が早速受けて、披露にかかりました。
「むむ、これこれ、これを、あなた様がお持ちでしたら、もう少し早くこの場へお出し下さればよいのに」
「ついして、今まで忘れておりました」
 真先に開いて一通りながめ渡した初霜は、改めてそれを新進の者に示し、
「皆様、よく御覧下さいませ、これが五年前の、名古屋美人の本格の品定めでございますよ」
「どうぞ、お見せ下さいまし」
 金魚が餌《えさ》に集まるように、この一枚の番附にすべての興が集まって、自然、当座の批評だの、軽い意味での揚足取りだの、岡焼半分
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