、何かの力にグングン押されて行くような気がしないでもなかったのに――今、旅路の不安というものが消滅した身でありながら、憂愁の重いこと――米友は、わが身でわが身がわからないといったものです。
 あの、親切な老夫婦でもいたら、昔のお礼を言っておこうか知ら――それとも言わない方がいいか。昔のお礼を述べるからには、自分というものが、多少飾りになるほどな出世をしているとか、心ばかりの土産物でも携えて来ているとかならばいいが、こんな様子で突然、昔を名乗ってみたところで、また一飯にありつきに来たのか、そうそうはいけねえ、もう行っちまえ、なんぞとあしらわれてはたまらない。
 老夫婦はたずねない方がよかろ。だが、御本堂へはひとつ、その昔、一夜の宿をお貸し下すったお礼を述べずばなるまい。
 こんなふうに考えて、本堂の方へと進んで行くと、閑寂な、人影とては一つも見えないと思っていた境内《けいだい》のお堂の後ろから、ひとり、ふらふらと歩いて来る人の姿をみとめました。
 その人は女であって、お高祖頭巾《こそずきん》をかぶっているということも一目でわかるが、お高祖頭巾をかぶっているという婦人は、世間にいくらもあることですから、お高祖頭巾に向って特別注意を払ったのではありません。やはり、心願あっての婦人が、お参りに来たものだろうと、深くは気にもとめず、米友は、本堂の前に手を合わせて、拝礼の真似《まね》事をする。神仏を敬すべしということは、出立の最初に当って、道庵先生から教訓されていることではあるし、その礼拝の曲折も、道中、熟練せしめられている。
 米友が拝礼している間に、お高祖頭巾の婦人は、御本堂のまわりを一廻りして、地蔵堂の方へ行くらしい。
 自然、そのあとを追うように、米友が地蔵堂の以前の自分のねぐら[#「ねぐら」に傍点]をおとずれようとすると、
「もし」
と呼びとめたのはお高祖頭巾の婦人です。
「何ですか」
と米友が円い眼を笠の下から、こちらに向けました。
「あの、海まではまだよほど遠いんでございますか」
「海ですか」
「はい」
「そうさねえ、海はねえ」
 米友が、ちょっと歯切れのいい応答ができないでいると、婦人が、
「鳴海潟というのは、いったい、どちらなのですか」
「え、鳴海ガタですって」
「はい、昔の歌や、詩に有名な鳴海潟は、どちらなんですか」
「鳴海ですか、鳴海は……」
 ここで、ま
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