だから、標準にならないと思いました。路傍の人家も、特にこの男のために東西を記したのはありません。山川草木も、南北を指しているのはない。道標か、札場は……それも見当らない。
米友は地団太を踏みました。
誰かをつかまえて、尋ねてみれば直ぐにわかることだが、この際の米友は、人間というやつをつかまえて教えを乞うには、かなり驕慢《きょうまん》に出来ていました。
「ちぇッ――東西南北がわからねえ」
こう言って天下の大道に立ったものです。と見ると、左の方に石柱が一本立っている。そうだ、多分あれに、何のなにがし、何里何町と刻んである、ひとつ見てやれ――
石の柱へちかよって見ると、それは道標でも、里程でもなく、ただ二字、石に刻んだそれが「笠寺《かさでら》」と読まれる。
笠寺!
こいつを入って行けば、その笠寺というのへ出るんだな。
笠寺! 聞いたような名だな。そういえばこの入口が何だかうろ覚えのあるような道だ、一度は通ったことのあるような気がするぞ。
行ってみろ――
ははあ、そうだそうだ、その昔、故郷を出奔し、ひとり東海道の道を下って行った時、ここへ入り込んで、この寺の軒の下を一晩お借り申したことがあったっけ。その翌朝、親切な寺番に見つけられ、叱られもせずに、温かい御飯と、温かい味噌汁とを振舞われたことがあったっけ。
その覚えのある道だ。
そうだ。だが、今、ようやくその寺の名を思い出すくらいだから、土地の名もさっぱり記憶はしていないが、やっぱり、熱田の宮から程遠からぬところであったとは、うろ覚えに覚えている。
とにもかくにも、昔なつかしいあのお寺の門前まで行って見てのことだ。
やがて、さまで大きからぬ古寺の門前。
たしかにここだ。
ここに堀があって、そこに門があって、宝塔があって、護摩堂があって、突当りが本堂で、当時、自分が御厄介になったのは、あの地蔵堂の下で、わざわざ朝飯の御馳走をしてくれたのは、護摩堂の後ろの小さな家にいる老夫婦だった。
ははあ、それではこの寺が「笠寺」といったのか。
今日この頃も、いろいろ心配はあるが、あの時に比べれば、頼るべき人と、宿るべきところに事を欠かないだけが、せめてものまし[#「まし」に傍点]というものか。しかし、あの時、東をめざして進んで行った憂き旅の間にも、何か希望のようなものが前途にあって、旅は辛《つら》いながらも
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