されて行く道庵と米友を見ます。
 名古屋の城下といっても、ここからは、僅かに一里余りの道のりですから、別段、トウマルカゴ[#「トウマルカゴ」に傍点]の用意も要らず、有合せの四ツ手|駕籠《かご》の中で、祭典の前祝いの追加が、この時分になって利《き》き出したものか、道庵は護送の身を忘れていい気持になってしまいました。
 いい気持になって、ここではじめて道庵は、護送の役人を相手に、自分たちがこのたびの旅行の目的と、併せて、決して自分たちが危険人物でないということの弁明を試みました。
 その言い分を聞いてみるとこうです――
 上方《かみがた》へ行くについて、東海道筋は先年伊勢詣りの時に歩いたから、今度は中仙道筋を取ってみたこと、中仙道筋を通りながら、どうして、この東海のパリパリ、尾張名古屋の方面へ乗込んで来たかというに、そこにはそこで立派な名分があること。
 それは、東海道でも尾張の国は、中枢の国であって、この国を除《の》けて東海道は意味をなさないのに――東海道、東海道と、いっぱし海道をまたにかけたつもりの旅行者が、大部分は、この尾張の国の中心たる名古屋の地を通過していないこと。
 ことに道庵の日頃尊敬しておかざる(?)ところの先輩、弥次郎兵衛氏、喜多八氏の如きすら、図に乗って日本国の道中はわがもの顔に振舞いながら、金の鯱《しゃちほこ》がある尾張名古屋の土を踏んでいないなんぞは膝栗毛《ひざくりげ》もすさまじいや、という一種の義憤から、木曾道中を、わざわざ道を枉《ま》げてこの尾張名古屋の城下に乗込んで来たのは、単に道庵一個の私事じゃない、江戸ッ子の面目を代表して、かつは先輩、弥次郎兵衛、喜多八が、到るところで恥を曝《さら》しているその雪冤《せつえん》の意味もあるということ。
 単にそれだけではない、この尾張の国という国は、日本国の英雄の一手専売所であるということ。頼朝がここに生れ、信長が生れ、秀吉が生れた――日本の歴史からこの三人を除いてごらんなさい、あとはロクでもねえカスばかりとは言わねえが、日本の英雄の相場はここが天井だね。
 苟《いやしく》も日本国民として、また江戸ッ子の一人として、そういうエライ国の真中へ、一応の御挨拶に行かねえけりゃ、義理人情が欠けるという愛国心で、名古屋へ一旦は入ったけれども、その足で城下は素通りして、真先に、この英雄の中の英雄、豊太閤の生れ故郷と
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