しまったのは、見るも無残のことであります。
 しかしながら、それらの災難も、道庵先生の受けた災難に比ぶれば、物の数ではありません。
 主催者であるが故《ゆえ》に、主謀者であり、危険思想家の巨魁《きょかい》と見做《みな》された道庵が、一たまりもなく捕手の手に引っとらえられ、調子を食って横面《よこっつら》を三ツ四ツ張り飛ばされ、両腕をだらりと後ろへ廻されて、身動きのできなくなったのは、ホンの瞬間の出来事でありました。
 祭壇に飾られた、田《たな》つ物、畑《はた》つ物、かぐの木の実は、机、八脚と共に、天地に向って跳躍をはじめました。
 ただ、問題の竹藪《たけやぶ》の中へ押立てられた木柱のみは、後生大事に――これは後日の最も有力な証拠物件となるのですから、汚損のないようにと抜き取られて、有合せの菰《こも》に包まれました。
 ところで、すべての人は逃げちりました。逃げ散ったものはお構いなし、すでにこの呑舟《どんしゅう》の魚であるところの道庵先生を得ているのだから――
「こいつは驚いた、こいつはたまらねえ」
 道庵は、やみくもに驚いてしまって、
「こいつはたまらねえ、これには驚いた」
と繰返して、ひとりで足をバタバタさせているほかには為さん術《すべ》を知りません。
 ようやくにして、次の言葉だけを歎願することができました。
「どうぞおてやわらかに願《ねげ》えてえものでがんす、借物ですからね、こう見えても、この烏帽子《えぼし》直垂《ひたたれ》は、土地の神主様からの借物でげすから――自分のものなら質の値が下ってもかまわねえけれど、借物だから、おてやわらかに願えてえもんでがんす」
 さすがに道庵先生は、江戸ッ子です。この場に及んでも、自己の一身上のための弁疏《べんそ》哀願は後廻しにして、まず借物にいたみのないようにと宥免《ゆうめん》を乞うのを耳にも入れず、
「たわごとを申すな」
と情け容赦もなく捕方は、ポカリと食わせます。
「こいつは驚いた、こいつはたまらねえ」
 道庵も混乱迷倒してしまいました。
 かかる折柄、米友が居合せなかったことの幸不幸は別として、米友は、さいぜん、木材を持ち来《きた》って一応の使命をおえた後に、程離れた世話人のところまで、風呂をもらいに行き、兼ねて夕飯の御馳走になっている時でした。

         七

 その晩のうちに、極めて無事に、名古屋の城下へ護送
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