木曾でお目にかかった道庵主従、いつか知らず、海道方面へ出て来て、今宵は、ここでこういう催しをすることに相成っている。
 道庵先生が、いかなる動機で、こういう催しをするようになったか、それをよく聞いてみれば、必ずや、なるほどと頷《うなず》かれるに足るべき先生一流の常識的の説明が有り余るに相違ないが、それを聞いていた日には、夜が明けるに相違ない――
 とにかく現実の場合、祭典の体《てい》も整い、意義も分明してきて、さて改めて本格の儀式に及ぼうとする時、疾風暴雨が礫《つぶて》を打つ如く、この厳粛の場面に殺到して来たのは、天なる哉《かな》、命なる哉です。

         六

 疾風暴雨というのは、いよいよ、これから祭典も本格に入ろうとする時に、この場へお手入れがあったことです。
 ここは、尾州名古屋藩の直轄地ですから、お手入れも、たぶんその直轄地からの出張と思われます。今日今宵、この異体の知れぬ風来者によって、一種不可思議なる祭典が、この地に催さるるということを密告する者あってか、或いは最初から、嫌疑をかけてここまで尾行して来たか、そのことは知らないが、かねて林間にあって状態をうかがっていたことは確かです。だが、お手先もまた、この祭典が何のための、何を主体としての祭典だか、一向わからなかったことは、前に述べたと同じことの理由です。
 しかしながら、今や、鮮かに木柱が押立てられてみると、証拠歴然です。
 だいそれたこの風来者は、人もあろうに豊太閤の供養をしようというのだ。
 親類でも、縁者でもあろうはずのない奴が、官憲の諒解《りょうかい》もなく、英雄の供養をしようというのは生意気だ、油断がならぬ、危険思想にきわまったり、者共|捕《と》ったという一言の下に、この場に疾風暴雨が殺到してしまった次第です。
 善良なる村の紳士淑女も、秀才も、涎《よだれ》くりも、木端微塵《こっぱみじん》でありました。周章狼狽《しゅうしょうろうばい》、右往左往に逃げ散ります、蜘蛛《くも》の子を散らすが如く。
 世話人たちは腰を抜かして、弁解の余裕がありません。日蓮宗のお寺に属する坊さんは、驚いて立ち上る途端に、せっかく丹念に擂鉢《すりばち》にすり貯めて、その余汁をもって、道庵先生の揮毫《きごう》を乞わんものをと用意していた墨汁のすりばちを踏み砕いてしまいました。そこで余汁をすっかり身に浴びて
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