階を下りながら、
「は、は、は、は」
と高らかに笑って、同行の二人を驚かせましたが、別の仔細はありません。
 横町の二町目に店があって、親が聾《つんぼ》で、子もまた聾。ある時、親爺が忰《せがれ》に向って、忰や、いま向うを通ったのは八百屋の伝兵衛さんではないか、とたずねたところが、その忰が言うことには、なあに、お父さん、あれは八百屋の伝兵衛さんですよ、それを親爺が受取って、すました顔で、そうか、おれはまた八百屋の伝兵衛さんかと思った――という小噺《こばなし》を、この際道庵が思い出したから、それで不意に高らかに笑いを発したので、まあまあ、おたがいの勘違いのままで任せておいてみろ、宜《よろ》しきに引廻してくれるだろう、という気になりました。
 このお数寄屋坊主は、道庵主従を、その万松寺というのへ向けて引廻すつもりでしょう。
 程経て三人の姿を名古屋大路に見出したが、途中、仰山らしい人だかりに行手をはばまれて、背の高い道庵が、その人だかりの肩越しにのぞいて見て、思わず声を上げ、
「いや、奇妙奇妙」
と叫びました。
 そも、この中に何事があるかということは、道庵が見届けた通り、米友も見届けなければならない義務があるかのように、ちょっとうろたえてみたが、人の肩越しにのぞくだけの身の丈を持ち合わせない米友です。
 そこでちょっと人垣の透《すき》を見取って、その足と足の林を押分けあんばいにして、中へと進み入るよりほかはなく、そうして忽《たちま》ち、その通りにして前列へ出て、中の形勢を見届け得るのところまで至ることができました。
 だが、至りついて見ると、それは別段、奇妙奇妙と声を上げるほどの光景ではない。打見たるところでは、まだ新しい段々染《だんだらぞ》めのかんばん[#「かんばん」に傍点]を着て、六尺棒を持ったところの折助風ののが数名いる。それに羽織袴をつけた世話人、取持風のが数名、往来の中に、手持無沙汰に佇《たたず》んでいる。
 と、その一方には、木刀をさした、やはりお仲間風なのが、これは、白昼に、箱提灯を二張《ふたはり》つらねて、先へ立つと、その後ろに、ことし、はじめて元服したらしい、水々しい若衆が一人と、それにつき添うて、前髪立ちの振袖の美少年が、二人ともに盛装して、歩むともなく佇むともなく立っていると、その後ろには、挟箱《はさみばこ》がおともをしているといったような尋常一様
前へ 次へ
全257ページ中93ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング