にも甲冑ははやらんでな。こんな甲冑は実用にはならんので、長州征伐の時、幕軍が破れて歩兵隊が奇功を奏したのも、一つはこの武装のせいだよ。幕軍は元和慶長以来の、家重代のやつを着飾っておどかそうと試みたものだが、長州方は、軽快な筒袖のだんぶくろみたようなものだ。そこで、関ヶ原では、驍名《ぎょうめい》を轟《とどろ》かした井伊の赤備えなんぞも、奇兵隊のボロ服にかかってさんざんなものさ。今時の甲冑は飾り物に過ぎないが、源平時代はこれが実用さ、これでなければ戦《いくさ》もできないし、人気も鎮まらないさ。しかし、いいもんだな、形と言い、こしらえと言い、華にして実、実にして雅、よろいかぶとは武装の神様だ、位から言っては、いつまでも廃《すた》らないのさ。これをこう着用して、馬に跨《またが》って先登に立つと、三軍の士気がおのずから奮う、その点もダンブクロとは威力が違う、飾り物でもなんでも、この甲冑というやつは尊重しておかなくちゃならん――ところで……」
 仏頂寺弥助は羽織を脱ぎ捨てて、床の間の鎧《よろい》をいちいち取外《とりはず》して、品調べにかかってから、一応覚束ない手つきで、
「まず小袴《こばかま》から……」
 色のあせた緞子《どんす》の小袴をとって帯の上に結び、
「誂《あつら》えたように三星まである。ところで、この紐をこうしめて前へ引きまわし、前締《まえじめ》に引通して結ぶ。普通の袴のように、前の紐をさきに結んで、後ろのをあとで結ぶのはいけない」
 小袴をつけ終ってから、
「足袋はあと、脚絆《きゃはん》は略して……草鞋《わらじ》も略して、それから脛当《すねあて》だ。多分これは、多門脛当というやつだな」
 脛当を取って、まず左の足につけながら、
「こうして左から先にはいて……右足を後に、おっと、この承鐙肉《あぶみずり》は内側にならなけりゃいかん。どうも、下へ脚絆を穿いとかないと、気色が悪いけれど。そうして紐は空解《そらど》けのしないように、結び目を左右に分けてはさんでおく。それから佩楯《はいだて》か……これは威佩楯《おどしはいだて》になっている、こうはいて、こう締めて、さてこの前締をどうしたものかな。すべて前締のあるのは、腰をさがらせないように特に注意してあるのだから、無用と思って閑却すると、立働きの時に、その罪がテキメンに現われて来る。さてお次は決拾《ゆがけ》かな」
 決拾一対を探
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