ったか、また人にすらせたか、それはわからないが、これだけの墨汁を、ここに提供したのは、祭主たる道庵先生に、この墨でもって何かを書かせようとする予備行為でありました。
そうでなければ、あらかじめ祭主側からお寺へ頼んでおいて、この墨汁を作らせた予備行為であります。
それはどちらでもかまいません。墨汁そのものが、誂向《あつらえむ》きに、この場へ出来て来さえすれば滞りはないことでありますが、次の問題は、しからばこの墨汁を、何に向って、何物を書こうの目的に供するかであります。
余りでもって住職のために、唐紙へけえ[#「けえ」に傍点]てやることは先生の御承諾になっているところだが、余沢《よたく》でない、本目的に向っての擂鉢《すりばち》の墨汁は、果して何に使用するものか――
時なる哉《かな》、宇治山田の米友が、二メートルの木の香新しい削り立ての木柱を軽々とかついで、この祭の座に姿を現わしたのは――
五
米友が距離に誤まられて、意外に時間をつぶしたことの申しわけをしているのを、道庵は空《くう》に聞き流し、それより道庵の揮毫《きごう》がはじまります。
さいぜん、すり置かれた墨に、新たに筆を浸して、それをただいま、米友が運び来《きた》った二メートルの削り立ての木の香新しい木柱に向って、道庵先生が思案を凝《こ》らしました。
事態が少しずつ、追々と分明になって参ります。竹藪《たけやぶ》の外にも、中にも、本尊が無いと心配した最初の杞憂《きゆう》もどこへやら、新たにこの木柱に向って、信仰の象徴が掲げられるわけですから、その現わす文字の如何《いかん》によって、今宵の祭典の理由縁起も分明になるわけですから、まあ暫く見ていて下さい。
件《くだん》の木柱を、祭壇の前の程よきところへ寝かして、道庵はしきりに、文句の吟味と、字配りの寸法に、思案を凝らしているようでありましたが、並《な》みいる連中は、この老先生のお手のうちを拝見しようと息をこらして、固唾《かたず》を呑んでいるばかり。やがて道庵は墨痕あざやかに、すらすらと次の如く認《したた》めました。
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「豊臣太閤誕生之処」
[#ここで字下げ終わり]
この八文字が墨痕あざやかに認められたのを見ても、並みいる連中、うん[#「うん」に傍点]ともすん[#「すん」に傍点]とも言いません。存外やるな! と、
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