契《ちぎ》りし罪の報い来て、いける地獄に堕ちにけん、世に薄命なる女子《をなご》はあれども、わが身に増るものあるべしやと、過来《すぎこ》しかたを胸にのみ、思ひぞくらす秋の山に、牝恋《つまこ》ふ鹿もうらめしく、まがきにからむ薯《いも》かつら、子にほだされて捨てかねし、身のなる果《はて》をあはれ世に、訪ふ人絶えてなかりけり。畢竟《ひつきやう》お夏がこの窮阨《きゆうやく》の、後のものがたりいかにぞや、そは次の巻に解分《ときわく》るを聴ねかし……」
[#ここで字下げ終わり]
北原は、眼の落つるところに、一気にこれだけの文字が触れたものですから、一種異様な気分に襲われました。
十九
北原賢次は美少年録の件《くだん》のくだりを見た瞬間に、ちょっとそんなような気分に襲われ、ずっと膝先を炬燵《こたつ》の方に突き入れて、斜めに竜之助の方を見ながら、
「お目が不自由ではいちばんいけません、そこひ[#「そこひ」に傍点]ででもございましたか」
「いいえ、怪我をしたのがもとで、ひどい目に逢いました」
「中途から見えなくなったのが、いちばんいけないそうでございますね」
「それが全くいけないのです」
「御病気からではなく、お怪我からでございましたか」
「ええ、怪我からやられました」
「怪我もいろいろございますが、それによって養生の方法も違いましょうね。そうそう、先日見えた二人づれのうち、一人の丸山なにがしというのが、医術の心得があるように言っていましたね、君」
北原は同行の村田を顧みると、村田はかたくなに坐りこんでいたが、
「そんなようなことを言ってましたね」
「あの人にでも、見ていただくとようございましたがな」
そこでちょっと話が途絶《とだ》えました。
しばらくしてから机竜之助が、座右の煙管《きせる》を取りのべて、
「誰に見せてもダメですよ、癒《なお》りっこはないと思うけれど、つい、こうしている間は捨てても置けず……」
とつぶやきました。
「ダメということはございますまいが、せいぜい御養生はなさらなければなりますまい。時にそのお怪我というのは、何が原因なんでございますか」
「この目のつぶれた原因ですか」
「はい」
「これは煙硝《えんしょう》で焼かれたのです」
「え、煙硝に吹かれたんですか」
「そうです」
「いや、その事。わしらの郷国では、あれが大好きでしてね、大仕
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