無下の振舞だと、北原もそれは嫌いだし、お雪ちゃんのひとがらから言っても、こんなことをさせて置くのは惜しい、と感ぜずにはおられませんでした。
あわてたな――ちょうど我々が来訪して来た時に、お雪ちゃんはここまで読みすましていたのだ。そこへ不意に我々のおとないを聞いて、あわてて栞をはさむ余裕がなく、ついムザムザと中身の本紙を折り込んでしまったので、これはお雪ちゃんの日頃ではない、非常の際の、ただ一度しか試みてはならない失策なのだ。ふだん、こんなことをしている子ではない、というように北原が、忽《たちま》ちお雪ちゃんのために有利な弁護の道を発見してしまいました。しかし、それが後になって、今まで、絵だけ見て、飛ばして行った本文を、そこから読むともなしに読み出してみると、
[#ここから1字下げ]
「既にして夜行太《やぎやうた》等は、お夏が儔《たぐひ》多からぬ美女たるをもて、ふかく歓び、まづその素生《すじやう》をたづぬるに、勢ひかくの如くなれば、お夏は隠すことを得ず、都の歌妓《うたひめ》なりける由を、あからさまに報《つ》げしかば、二箇《ふたり》の賊は商量《だんがふ》して、次の日、何れの里にてか、筑紫琴《つくしごと》、三絃《さみせん》なんど盗み来つ、この両種《ふたくさ》をお夏に授けて、ひかせもし、歌はせもして、時なく酒の相手とす。只この遊興のみならで、黒三《くろぞう》が宿所にをらぬ日は、お夏を夜行太が妻にしつ、又夜行太がをらぬ時は、黒三が妻にもす。たとへば是《こ》れ両箇《ふたつ》の犬の孤牝《こひん》を愛《め》づるに相似たり、浅ましきこといふべうもあらねど、さすがに我児のいとほしければ、お夏はこれすらいなむによしなし。逃《のが》れ去らんと欲すれども、夜行太と黒三と、かはり代りに宿所にをれば、思ふのみにて便りを得ず、よしや些《ちと》の隙《すき》ありとても、山深くして道遠かり、いづこを人家《さと》ある処ぞと、予《かね》て知らねばなまじひに、走り出で路に迷うて、程もなく追詰められ、行戻さるることしもあらば、わが上のみか球之介《たまのすけ》が、命も保ちがたかるべし、畜生にだも劣る山賊の、しかも良人《をつと》のあだかたきなる、二人の為に身を涜《けが》されて、調戯《なぐさみもの》となれる事、もともといかなる悪業ぞや。好もしからぬ夫でも、ぬしありながら岐道《ふたみち》かけて、瀬十郎ぬしと浅からず、
前へ
次へ
全257ページ中59ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング