大菩薩峠
Ocean の巻
中里介山

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)Ocean《オーション》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)馬|肥《こ》ゆ

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)すさび[#「すさび」に傍点]
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 今日から「Ocean《オーション》 の巻」と改めることに致しました。Ocean は申すまでもなく「大洋」のことであります。わざと英語を用いたのは気取ったのではありません。「大洋」とするよりも「海原」とするよりも「わだつみ」と言ってみるよりも、いっそこの方がこの巻にふさわしいような気持がするからであります。従来も「みちりや」と名附けてみたり「ピグミー」を出してみたりするのも、やはり同様で、ことさらに奇を弄《ろう》するという次第ではありません。規模が大きいだけに、今後も思いがけない言葉が少しは飛び出すかも知れません。もし、不分明でしたら、不分明のままに飲み下しておいていただきましょう。「誦すべくして解すべからず」とすましておいた方がよろしいと思います。
[#ここで字下げ終わり]

         一

 駒井甚三郎と、田山白雲とが、九十九里の浜辺の波打際を、轡《くつわ》を並べて、馬を打たせておりました。
 駒井は軽快な洋装に、韮山風《にらやまふう》の陣笠をかぶって、洋鞍に乗り、田山は和装、例の大刀を横たえた姿が、例によって奇妙な取合せであります。
 それで二人は、九十九里の浜辺を、或いは轡を並べたり、或いは多少前後したりして、今でいえば午後三時頃の至極穏かな秋晴れの一日を、悠々《ゆうゆう》として、馬を打たせ行くのであります。
 天高く馬|肥《こ》ゆといった注文通りに、一方には海闊《うみひろ》くという偉大な景物を添えているのだから、二人の気象も、おのずから昂然として揚らざるを得ないような有様です。
「どうです、田山君、この辺の海は」
と、駒井甚三郎が海をながめて、少し後《おく》れた田山を顧みて言いました。
「海岸の風物が一変したら、海そのものまでも別のような感じがします」
と、田山白雲が答えました。
「そうですね、九十九里は全く別世界のような気がしますね、大東《だいとう》の岬《みさき》以来、奇巌怪石というはおろか、ほとんど岩らしいものは見えないではありませんか、平沙渺漠《へいさびょうばく》として人煙を絶す、といった趣ですね」
「左様、小湊《こみなと》、片海《かたうみ》あたりのように、あらゆる水の跳躍を見るというわけでもなし、お仙ころがしや、竜燈の松があるというわけでもなし――至極平凡を極めたものですね、海の水色までが南房のように蒼々《そうそう》として生きていません――沼の水のようです」
「しかし、この九十九里が飯岡《いいおか》の崎で尽きて、銚子の岬に至ると、また奇巌怪石の凡ならざるものがあります。それから先に、風濤《ふうとう》の険悪を以て聞えたる鹿島灘《かしまなだ》があります。ただ九十九里だけが平々凡々たる海岸の風景。長汀曲浦《ちょうていきょくほ》と言いたいが、曲浦の趣はなくて、ただ長汀長汀ですから、単調を極めたものです」
「でも、不思議に飽きません。強烈にわれわれを魅するということはないが、倦厭《けんえん》して、唾棄《だき》し去るという風景でもありません。あるところで海を見ると、恐怖を感ずることもあれば、爽快に打たれることもある、広大に自失して悲哀を感ずることもないではないですが、この平凡なる九十九里の浜で、こうしてなんらの奇抜な前景もなく、沼の拡大したような海を見ていると、海というものが他人ではない気持がします」
 田山はこう言って、曾《かつ》て南房州の海の生きているのを見て、感激を以て語った時の表情とは全く別人のように、茫然としていると、駒井甚三郎もうなずいて、
「風景としてはとにかく、単に海を広く見るという点からいえば、日本中、この辺の海岸に及ぶところはないでしょう。この海を Pacific Ocean と言います、太平洋とか大海原《おおうなばら》とか訳しますかな、米利堅《メリケン》の国までは遮《さえぎ》るものが一つもありません。われわれは今、世界でいちばん広くながめ得る地点から見ているのです」
 田山白雲が、それについて言いました、
「事ほど左様に、われわれは世界で最も大きなもの、最も広いものに接していながら、その刺戟というものを少しも感じないのは、不思議といっていいです」
 駒井甚三郎が、それを肯定して、
「そうです、何かわれわれに刺戟を感ずるもの、威圧を感ずるもの、窮屈を感ぜしめるものは、偉大なものじゃありません、少なくも広大なものではありません」
「そういえば、そうかも知れないが、そうだとしてみれば、われわれに感激を与うるものは、すべて、そのものの迫小ということを意味するゆえんとなりますね」
「一概に断言もできないが――刺戟の強いものには、あまり偉大なものはないようです」
「といったところで、それでは刺戟のない、感激のないものが、ことごとく偉大だというわけにはゆきますまい、私は感激の無いところに、偉大性は無いように思われてなりません」
「感激というものは、その偉大なるものが、ある隙間《すきま》から迸《ほとばし》った時に、はじめてわれわれに伝わるので、偉大そのものの方からいえば、むしろ破綻《はたん》に過ぎないと思います。たとえばです、この平々凡々たる大海のある部分に波が立つとか、岩に砕けるとかした時に、人は壮快を感じたり、恐怖を感じたりして、はじめて威力に感激するのですが、こうして無事に相接している時は、いま君の言ったように、海が全く他人ではないのです。外房の波の変化に、君が衷心《ちゅうしん》から動かされたような感動を、ここへ来て受け得られないところに、受け得られないで平々淡々たる親しみを感ずるところに、海の本色と、その偉大さがあるといってもいい。そういう意味において、人間にも、人間のうちの選ばれた偉人英雄といったような種類の人にしてからが、逢うて強烈な感激を受ける人もあれば、逢うて失望こそしないが、案外の平穏に、茫然自失するといったような種類の偉人もありましょう」
「それは、あるかも知れません」
「たとえば――私は、いつぞや君から、日蓮上人のことを鼓吹せられて、全く新しい世界を見せられたように感じました、そして、私の癖として、一応君から教えられたところを追従して、遅蒔《おそま》きながら日蓮上人の研究をはじめたことは、君も御存じの通りです」
「いやはや」
「あれから、僕の研究癖というようなものが嵩《こう》じて、日蓮について、まず現在のところで能《あと》うだけの研究をしてみたつもりだが、日蓮を研究して得たところのものは、やはり君に教えられたところ以上には出でることができなかったが、案外にも、日蓮を研究して、他の大きなものに突き当ったことは、まだ君に話さなかった」
「聞きません――お弟子がお弟子だから、さだめてすばらしい出藍《しゅつらん》ぶりと存じます、どうか、この鈍骨の先達《せんだつ》に、その研究の結果をここで教えて下さい」
「なあに、それほどの創見でもなんでもないのだが、日蓮を知る者は、どうしても法然《ほうねん》を知らなければならない、というの一事を見出しました」
「法然――浄土宗の法然上人ですか」
「そうです、法然と、日蓮とは、他人ではありません」
「これは斬新なお説を承ります、古来、法華と門徒とは、仲の悪い標本の大関ものと見立てられていますぜ。末流が、そういうふうに角《つの》突き合うのみならず、当の日蓮上人が、法然上人と、その仏念に対する義憤と、憎悪とは、あなたも十分に御存じのことと思います。それを根本から覆《くつがえ》す新説を、あなたはどこから発見なさいました、研究家は違ったものです……」
 田山白雲は逆襲気味になりましたが、駒井甚三郎は頓着せず、
「ところが法然と、日蓮とは、切っても切れない親子です、法然は慈愛|溢《あふ》るる親であって、日蓮はその血を受けた無類の我儘《わがまま》息子です」
 田山白雲はようやく不服の色で、
「さすがに研究家だけに、眼の着けどころが違ったものですね、法然と、日蓮が、他人でないということにも恐れ入りましたが、そのまた法然と、日蓮が、血肉を分けた親子だとは驚き入りました。拙者の方は恐れ入ったり、驚き入ったりするだけで文句はないが、それでは浄土宗と、浄土真宗というものから尻が来ましょうぜ。浄土には浄土の法脈があり、ことに真宗の親鸞上人《しんらんしょうにん》なんて、われこそ法然上人の嫡子《ちゃくし》なり、と名乗りを立てている人をそっちのけにして、にくまれっ児の日蓮上人を養子にしてしまったんでは、名主総代から、親類組合までが納まりますまいぜ」
 駒井は、それに就いて言いました、
「だが、何といっても法然あっての日蓮ですよ、法然が、日蓮を産んだということは、途方もない独断に見えるかも知れないが、これは結論を先にして、前提を省いたから君を驚かしたものだろう。ひとつ、順序を追うてみようか。まず……」
 田山白雲は、馬上から砂地の滑らかなところを、これに何か描いてやりたいような気持でながめながら、駒井の論法を聞こうとしていると、駒井甚三郎は、前方の海をしきりに見向いて、
「まず、法然と、日蓮とは、地位が違い、性格が違いますね」
「性格の違うのはわかっているが、地位の違うというのは、どう違うのですか」
「生活していた時の、社会的地位とでも言いますかな」
「なるほど」
「法然は、その生ける時代において、最大級の人格を誰にも認められておりましたが、日蓮の社会的地位は比較になりません」
「そうでもないでしょう、あの通り強烈に、時の権威に抗し、一代に活躍した大人物の行為を、誰が認めなかったと言います」
「それは、ある方面を騒がせたり、てこずらせたり、もてあまさしめた強烈なる行動は、その当時の相当の注意を惹《ひ》いたに相違ありませんが、その認められ方、注意の惹き方というのが、到底、法然上人のそれと、比較になるものではありません」
「どうして」
「法然上人という人は、その生ける時に、知恵第一ということを公認されておりました。この知恵第一というのが正銘の意味で、当時の学界を総べての第一人者であったのです。単にその宗門においての第一の学者というだけではありません、あの時代のあらゆる方面において、法然《ほうねん》は第一等の学者でありました。ほとんど生涯を専門の学問に没頭したその道の権威が、その道のことを、法然に教えられねばならなかったということは、事実に違いありますまい。単に学者としてだけでも、法然は当時の最高地位にあって、誰もその地位を争い得るものが無かったのです」
「そうして」
「それから、学者としてでなく、単に社会的地位において、尊敬せられたことも比類がありません。親しく帝王の師となり、法筵《ほうえん》の時は、後白河法皇よりさえ上席を譲られていました。学者だから、社会的地位が高いから、それで偉大なる宗教家だという理由は少しもないが、少なくとも、この二つのものは、日蓮に無いでしょう」
「それは無論です」
と、田山白雲が昂然《こうぜん》として肯定しながら、言葉をつづけました。
「それは無論です、日蓮が朝廷貴紳の寵児《ちょうじ》でなく、東国の野人であることを、いまさら洗い立てをする必要がどこにあります、そんなことは比較になりません、比較したって、なにも、少しも両者の優劣、尊卑、大小に関係したことじゃありません」
「まだ結論に行っているわけではありません、単に、逐一《ちくいち》比較してみようとしているだけのものですから、そのつもりでお聞き下さい」

         二

 二人は談論に我を忘れて、九十九里の浜辺に馬を歩ませて行きました。
 談論に我を忘れているのは、単にこの二人の上ではない。いったい、この二人が九十九里の浜辺に相並んで馬を歩ませているとはいうが、九十九里も長いのに、
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