妄想《もうそう》は、すべて運星のめぐりに邪魔をいたします……さあ、いらっしゃい、わたしたちの力を頼めば、どんな人でも幸福に向います。諸君、エライ占星師にはそんなことは決して珍しくない。マニラは曖昧《あいまい》である、フィルミクは当てにはならぬ、アラビイは怪しげな調子で、口から出まかせを言う、ジャンクタンはなんでもかでも言いたがる、スピナはとかく隠したがる、カルタンは英国王に迷うている、アルゴリュースはあまりにギリシャ臭く、ポンタンはローマ臭い、レオリスとブゼルは大道を辿《たど》っています……そこで自然の秘密を真底から知ったり、運星の幸運を判断したり、アポロのように、風と、死体と、地と、水とで、一切万人に未来のことを示したり、空中から甘露と、霊薬を絞り取って、オロマーズを加味してアリマンヌを除き、そうして、男爵夫人を乞食に恋のうきみをやつさせて、有名なスカルロンの詩を吟じさせたり、何人《なんぴと》にも十分の成功を予言したり、霊妙不思議な惚《ほ》れ薬、黒鉛《こくえん》に、安息香に、昇汞《しょうこう》に、阿片薬を廉価《れんか》に販売したり、まった、月日や年代を言い当てたりするのは、誰ひとりとして、いやさ諸君、誰ひとりとして、ここにいられるわが師ギヨ・ゴルジュウ大先生におよぶものはない……」
 この時、頭の上で、大きな鳥の輪を描くのを認めたものですから、清澄の茂太郎は、急にたわごと[#「たわごと」に傍点]をやめて、
「あ、ありゃアルバトロスだ」
 地上へ卸《おろ》して見たら、その翼の直径が一丈五尺はあるかも知れない。
 もう少し近い空を飛んでいたなら、口笛を吹いてでも呼びとめてみようものを、あの高さでは、自分の魅力も及ばないものと思いあきらめたらしく、
「アルバトロスに違いない」
 うらめしそうに、夕暮の空に消えて行く大きな鳥の、白い翼を見送っています。
 その見慣れない鳥を、アルバトロスというような名で呼びかけた茂太郎の知識は、駒井甚三郎から出たのではあるまい。多分、例のマドロスが、折に触れては航海話をして聞かせているうち、幾度かその名が出るものだから、海の上を飛ぶ大きな鳥さえ見れば、この子はこのごろ、アルバトロスと呼んでみたくなるのらしい。
 事実上、海洋と、孤島とを棲処《すみか》として、群棲《ぐんせい》を常とする信天翁《あほうどり》が今時分ひとりで、こんなところをうろついているというのも変ですから、或いはオホツク海あたりから来た大鷲《おおわし》が、浦賀海峡を股にかけて、天城山《あまぎさん》へでも羽をのばしたかも知れません。
 見ているうちに、その姿も消えてしまいました。
 そこで、茂太郎は、急に手持無沙汰の感じで、さいぜんの続きであろうところのたわごと[#「たわごと」に傍点]をうたい出しました、
「諸君、フムベールはイカサマですぞ。かれは権力を得ることができなかったために、民衆に結ぼうとしました。その民衆も生《は》え抜きの民衆ではなく、民衆の中の泡です、民衆を代表すると名乗って、実は民衆のカス、民衆の屑、民衆のあぶれ者の、浅薄なる寄集りを民衆と称して、それに近寄って御機嫌を取ったために、最も浅薄な、そのくせイヤに性質《たち》の悪い勢力を作ってしまいました。今でも、あのゴマカシ者を、不世出の偉人かの如く信ずる者があるから、滑稽ではありませんか」
 茂太郎とても、興に乗じてはあえて弁信に譲らない饒舌《じょうぜつ》を弄《ろう》することがある。
 しかしながら、いくら長く喋《しゃべ》っても、弁信のは条理整然として、引証的確なるものがあるが、茂公のは無茶苦茶です。論より証拠、引きつづいての前記の文句を突然うたい出されて、面食《めんくら》わないものがありますか。
 だが、こうして、聞く人もないところの空気を、茂太郎がしきりにかき廻しているのを、不意に惑乱せしめた動物があるのも皮肉じゃありませんか。
 一時《いっとき》、びっくりした茂太郎が、見るとそれはホルスタイン種と覚しい仔牛が一頭、なれなれしくやって来て、その首を茂太郎にこすり[#「こすり」に傍点]つけているのでありました。
「やあ、牛――お前、いつのまに来ていたの」
 茂太郎は一時びっくりしてみただけで、その後はあえて驚きません。尋常ならば、たとえ牛であっても、こんな際に、房総第一の高山の上で、人っ子ひとりいないと信じていたところへ、不意にのっそりと現われて、体をこすりつけられるようなことをされては、大抵の子供は驚愕《きょうがく》のあまり、悲鳴を上げて逃げ出すのがあたりまえですけれども、茂太郎は驚きません。
 こすりつける牛の首筋を、可愛がって撫でてやりました。
 そうすると、今までは多少遠慮の気味でこすりつけていた牛が、もう公《おおや》けに許された気になって、全身をあげて、茂太郎にこすりついて来たその懐《なつ》っこさといったらありません。
 物と物との間には、どうしても、身も魂も入れ上げて好きになれるものもあれば、虫唾《むしず》の走るほど嫌われながら、それでもついて廻らねばならぬ運命もある。
 清澄の茂太郎が、物に好かれる性質を、先天的に、極めて多量に持ち合わせて生れたことは申すまでもありません。ただそれを多量に持ち過ぎていることが、彼を苦しめたこと幾度か知れません。
 都会にあって、見世物に出されて、人気を占めていた時は、多くの婦人が、貴婦人といわるべきものまでが、彼の身《からだ》にこすりつくことを好んでいなかったか――あらゆる動物が彼を慕うて来る、毒蛇でさえも、狼でさえも――いわんや動物のうちの最も順良なる牛が、こうして、なついて来るのは、茂太郎にとっては少しも不思議なことではありませんでしたけれども、そのなつかしがりようが、あまりに濃厚なものですから、
「おや、お前はチュガ公じゃないか、ああ、チュガ公だね、チュガ公……」
 茂太郎に驚喜の色があります。

         九

 チュガ公と呼ばれて仔牛は、前足をトントンと二つばかり鳴らし、クフンクフンと甘えるような息づかいをする。
「ああ、ほんとうにチュガ公だ。お前、久しく逢わなかったね、お父さんも、お母さんも達者かい」
 そう聞かれて牛は、またクフンクフンと鼻を鳴らし、涎《よだれ》を垂らしはじめました。
「お父さんも、お母さんも達者だろう、なぜ、お前、今時分、ひとりで、こんなところへ来たの、みんなが心配するだろう、お父さんやお母さんも心配するだろう、牧場の番兵さんも心配するよ――ひとり歩きをするものじゃない」
 茂太郎は、この場合、仔牛に向って大人びた意見を試みたが、父母|在《いま》す時は遠く遊ばず、という観念を、仔牛に向って吹き込もうとして、かえってくすぐったく思いました。それは他に向って言うことではない、自己に対して責めることなのだ。
 父母|在《いま》しても、いまさなくても、幼き身で無断に遠く遊んで悪いことは、昨今の自分の身がかえって殷鑑《いんかん》だと思いました。
 駒井甚三郎も、田山白雲も、マドロス君も出て行ったあとの洲崎《すのさき》の陣屋から、いい気になって出て来た自分は、興に乗じてこんなところまで上って来てしまった。
 ここを房総第一の高山だと思って上って来たわけではないが、もうこれより上へのぼるところはないからここで止まったのだ。上へのぼるところがありさえすれば、雲の上へでも、空の上へでも、登ってしまったかも知れない。しかし、ここまででさえ上って来て見れば、鹿野山よりも、鋸山《のこぎりやま》よりも、清澄よりも、まだ高いらしい。
 本来、こんな高い所へ登ろうと企《くわだ》てて来たのでもなんでもなく、今もいう通り、誰もとがめる人がないから、興に乗じて、ついここまで来てしまったのだ。今になってはじめて、洲崎の陣屋をかなり遠く離れて来ていることと、日というものが全く暮れてしまっていることを悟りました。
 牛に向って教訓を試みたことによって、はじめて我が身に反省することを知り、わが身に反省してみると、
「ああ、そうだ、そうだ、お嬢さんが待っている、あたしも早く帰らないと悪い――」
 茂太郎に父母はいないらしいが、彼の身を心配する人が無いというはずはない。
 兵部の娘が心配する。そこで茂太郎は、
「さあ帰ろう、牧場では、きっとお前を探している、あたいだって、誰か探しているかも知れないが、あたいの方は、今日はじめてじゃないんだから……」
 全く茂太郎の脱走は、今にはじまったことではないから、心配する方にも覚えがある。仔牛の方はそうはゆくまい。熊か、狼にでも食われたか、牛盗者《うしぬすびと》か、後生者にか――血眼《ちまなこ》になって騒いでいるに相違ない。
「お前を柱木《はしらぎ》の牧場まで送ってって上げる」
 茂太郎は、仔牛の頭を撫《な》でながら、房総第一の高山を下りにかかりました。
 房総第一の高山を下ると、そこに柱木の牧場があります。
 柱木《はしらぎ》の牧場は、嶺岡《みねおか》の牧場の一部で、その嶺岡の牧場というのは、嶺岡山脈の大半を占める牧牛場――周囲は十七里十町余、反別としては千七百五十八町余、里見氏より以来、徳川八代の時に最も力を入れ、南部仙台の種馬、和蘭《オランダ》進献の種馬、及び、天竺国雪山《てんじくこくせつざん》の白牛というのを放ったことがある。
 仔牛を送って、柱木の牧場まで来た清澄の茂太郎、
「番兵さん、チュガ公を連れて来たぜ」
「チュガ公を……そういうお前は、芳浜の茂坊じゃねえか」
 牧場は、軍隊組織になっているわけではないが、この番人は、陸軍の古服でも払い下げたものか、いつも古い軍服を着ているものだから、茂太郎は、番兵さんの名を以て呼んで、その本名を知らない。
 その番兵さんは、チュガ公の帰来を喜ぶよりは、茂太郎の現出に少なからぬ驚異を感じているもののようです。
「番兵さん、チュガ公もずいぶん大きくなったものだねえ、まるで見違えてしまったよ、それでも直ぐわかったよ」
「茂坊、お前もずいぶん珍しいことじゃないか、今までどこに何をしていたえ」
「三年目だねえ」
「そうだなあ、三年目だなあ」
「三年前の夜這星《よばいぼし》が出る晩だったよ、チュガ公の生れたのは」
といって、茂太郎は牛小屋の中を、まぶしそうに見入ります。
 三年前の夜這星《よばいぼし》の出る晩というのは、何日《いつ》のことだか、その夜這星とは、何の星のことだかわからない。茂太郎独特の暦法によるのだから、明白な時間と、位置はわからないが、この牛の誕生のその時に、まさに清澄の茂太郎がここに立会っていたことは事実らしい。
 番兵さんが産婆役をして、茂太郎が介添役となって、かくて安々と玉のような牛の子が、夜這星の下《もと》に生れ出たのである。そのチュガ公という名の名附親が誰あろう、この清澄の茂太郎御本人ではないか。チュガ公という名になんらのよりどころと、つかまえどころがあろうとは思われない。生れ落ちると同時に、
「番兵さん、名前を何とつけてやろうか知ら。チュガ公はどうだね、チュガ公とつけたらどんなもんだろう」
「よかろうね、なんでも名は、呼びいいのがいい」
 そこで即座に、チュガ公の名が選定されてしまいました。
 その後、茂太郎去って後も、多分その名で呼ばれ通して来たのでしょう。畜生の身としても、その産婆役と、名附親とを忘れてよいものか。
「チュガ公が、このごろお前、だまって出歩きをするようになっていけねえんだ」
「どうして」
「どうしてったって、お前、お母《っか》あが亡くなってからというもの、出歩きをしたがっていけねえ」
「え、チュガ公のお母あは死んだのかい、番兵さん」
「ああ、惜しいことをしたよ、この春ね」
「ええ、だから、お父さんも、お母さんも達者かと聞いてみたんだのに、どうして死んだの、病気でかい」
「いや、病気で死んだんじゃねえんだ、乳を取られに江戸へ連れて行かれて、それっきり帰って来ねえんだ、いや帰してくれねえんだから、多分……」
「そんならチュガ公のお母さんは江戸にいるだろう、江戸にいれば死んだときまりはしまい」

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