呼んで、早く帰れ、早く帰れと呼んでいる。この少年は矢も楯もたまらなくなって、飛び起きてしまいました。
 ややあって、雨をおかして石堂原をまっしぐらに走るところの清澄の茂太郎を見ました。
 笠をかぶり、蓑《みの》をつけているけれども、それは茂太郎に相違ありません。彼は物に追われたように走るけれども、別段、追いかけて来る人はない。
 けだし、寝るに寝られず、じっとしては一刻もいられぬ茂太郎は、番兵さんの熟睡の隙《すき》をねらって飛び出して来たものだろう。そうでなければ番兵さんだって、いったん泊めたものをこの夜中、雨の降るのにひとり帰してやるはずはない。
 そんならば、蓑笠はどうしたのだ。
 さいぜん、古畑の畦《あぜ》で、あの案山子殿《かかしどの》をがちゃ[#「がちゃ」に傍点]つかせていたものがある、多分、あれをそっと借用したものに違いない。
 興に乗じての脱走は常習犯だが、他人の持物を無断で借用して、その人を困らせるような振舞は、かつてしたことのない茂太郎だから、無人格な案山子殿のならば、無断借用も罪が浅いと分別したのかも知れません。
 雨を衝《つ》いて茂太郎は、蓑笠でまっしぐらに走りまし
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