です。論より証拠、引きつづいての前記の文句を突然うたい出されて、面食《めんくら》わないものがありますか。
だが、こうして、聞く人もないところの空気を、茂太郎がしきりにかき廻しているのを、不意に惑乱せしめた動物があるのも皮肉じゃありませんか。
一時《いっとき》、びっくりした茂太郎が、見るとそれはホルスタイン種と覚しい仔牛が一頭、なれなれしくやって来て、その首を茂太郎にこすり[#「こすり」に傍点]つけているのでありました。
「やあ、牛――お前、いつのまに来ていたの」
茂太郎は一時びっくりしてみただけで、その後はあえて驚きません。尋常ならば、たとえ牛であっても、こんな際に、房総第一の高山の上で、人っ子ひとりいないと信じていたところへ、不意にのっそりと現われて、体をこすりつけられるようなことをされては、大抵の子供は驚愕《きょうがく》のあまり、悲鳴を上げて逃げ出すのがあたりまえですけれども、茂太郎は驚きません。
こすりつける牛の首筋を、可愛がって撫でてやりました。
そうすると、今までは多少遠慮の気味でこすりつけていた牛が、もう公《おおや》けに許された気になって、全身をあげて、茂太郎にこ
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