出でたのは、施餓鬼《せがき》とお祓《はら》いの翌日のことでありました。

         八

 その日の夕方、清澄の茂太郎は、般若《はんにゃ》の面をかかえて、房総第一の高山を、すでに八合目あたりまで上って来ました。
 その辺まではわきめもふらずに上って来たが、ここで歩みをゆるやかにしたものですから、呼吸もやや平調になったのでしょう。ブレスが正しくなったために、歌をうたいたくなったのだか、何か歌いたくなったものだから、それでブレスの加減をする気になったのか……
 とにかく、茂太郎の足がゆるやかになると共に、
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一つとや――
人も通らぬ山道を
誰かさんと
誰かさんが……
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 せっかくのことに、勢いこんで歌い出したのに、急に息がつまったもののように途切《とぎ》れて、
「弁信さん、だまっといでよ」
 弁信は、なにかにつけて茂太郎の即興歌に、干渉したものです。
 それは茂太郎の出まかせの即興が、たとえ純然たる無邪気を以て発せらるるにせよ、内容を無視した形式だけの肉声で、その歌詞が往々飛んでもないところへ外《そ》れるのを、当人自身が悟らないのだから
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