、この人ほど維新前後の日本の歴史に重大関係を持っている人はありません。
それが忘れられ過ぎるほど忘れられているのは、西郷と、勝との名が、急に光り出したせいのみではありません。
江戸城譲渡しという大詰が、薩摩の西郷隆盛という千両役者と、江戸の勝安房という松助以上の脇師《わきし》と二人の手によって、猫の児を譲り渡すように、あざやかな手際で幕を切ってしまったものですから、舞台は二人が背負《しょ》って立って、その一幕には、他の役者が一切無用になりました。
歴史というものは、その当座は皆、勝利者側の歴史であります。
勝利者側の宣伝によって、歴史と、人物とが、一時|眩惑《げんわく》されてしまいます。
そこで、あの一幕だけ覗《のぞ》いた大向うは、いよ御両人! というよりほかのかけ声が出ないのであります。しかし、その背後に、江戸の方には、勝よりも以上の役者が一枚控えて、あたら千両の看板を一枚、台無しにした悲壮なる黒幕があります。
舞台の廻し方が、正当(或いは逆転)に行くならば、あの時、西郷を向うに廻して当面に立つ役者は、勝でなくて小栗でありました。単に西郷とはいわず、いわゆる、維新の勢力の
前へ
次へ
全128ページ中53ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング