ということを、この時の賢明なる軍艦奉行配下の組頭が心得ていたのでしょう。
 高崎藩ならば、大多喜藩ならば、一番おどかしてもくれようと意気込んで来た一隊が、急に悄気《しょげ》こんで、
「ははあ、ではやむを得ないところ」
 旗を巻いて、進軍の歩調が、すっかり鈍《にぶ》ってしまいましたが、拳のやり場を体《てい》よくまとめて、またも以前の方面へ引返したのは、少なくとも組頭の手際です。
 ほどなくこの一隊は、君ヶ浜方面に向って、なにくわぬ面《かお》で測量をはじめました。

 一方、引揚作業の方面では、十分に焚火で身をあぶった海人海女が介添船に乗る。
 駒井甚三郎は、別に一隻の小舟に、従者一人と例のマドロスとを打ちのせて――そのいずれの船にも丸に立波の旗印が立っている。
 この作業にあたって、駒井が最初から、勘定奉行の小栗上野介の諒解《りょうかい》を得ているというのは、ありそうなことです。
 そうでもなければ、こうして白昼大胆に、こんな作業が行われるはずはない。そうして、小栗と駒井との関係は、特にこの機縁だけで結ばれたものではあるまい。
 駒井は洲崎《すのさき》の造船所から海を越えて、しばしば相州
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