とひるがえる旗印を見直すと、丸に立波、そう言われてみれば、紛《まご》う方《かた》もない、これは勘定奉行の小栗上野介殿《おぐりこうずけのすけどの》の定紋《じょうもん》。
 その旗印が小栗上野介の定紋であるのみならず、なお奇怪にも聞えるのは、その旗印の下に仕事をしているのが、以前の甲府勤番支配駒井能登守らしいと言われて、彼等は夢を見たように、ぼんやりと考えさせられてしまいました。
 小栗を知るほどの者は、駒井を知らないはずはなかろうと思われる。
 しかし、小栗が隆々として、一代の権勢にいるのに、駒井は失脚以来、その生死すらも疑われている。七十五日は過ぎたが、その人の噂《うわさ》というものは、時事の急なる時と、急ならざる時、人材が有るとか、無いとかいう時には、必ず誰かの口から引合いに出されねばならないことになっている。
 さては没落と見せたのは表面で、内々は小栗上野介と謀を通じて、隠れたる働きをしていたのか、油断がならない――と軍艦奉行の組頭が、この時はじめて恐怖を催しました。
 軍艦奉行の威勢も、勘定奉行の権勢にはかなわない。
 さすが勝安房守の名声も、小栗上野介の旗印の前には歯が立たない
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