、われわれに感激を与うるものは、すべて、そのものの迫小ということを意味するゆえんとなりますね」
「一概に断言もできないが――刺戟の強いものには、あまり偉大なものはないようです」
「といったところで、それでは刺戟のない、感激のないものが、ことごとく偉大だというわけにはゆきますまい、私は感激の無いところに、偉大性は無いように思われてなりません」
「感激というものは、その偉大なるものが、ある隙間《すきま》から迸《ほとばし》った時に、はじめてわれわれに伝わるので、偉大そのものの方からいえば、むしろ破綻《はたん》に過ぎないと思います。たとえばです、この平々凡々たる大海のある部分に波が立つとか、岩に砕けるとかした時に、人は壮快を感じたり、恐怖を感じたりして、はじめて威力に感激するのですが、こうして無事に相接している時は、いま君の言ったように、海が全く他人ではないのです。外房の波の変化に、君が衷心《ちゅうしん》から動かされたような感動を、ここへ来て受け得られないところに、受け得られないで平々淡々たる親しみを感ずるところに、海の本色と、その偉大さがあるといってもいい。そういう意味において、人間にも、人
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