でそういう仕草《しぐさ》をして、人を笑わせんがために存在することもあれば、当人は大まじめ――むしろ命がけの真剣さを以てやっていることでも、はたで見ると、どうしても滑稽とよりほかは見られない悲惨なる現象もある。
 また当人も滑稽と思わず、それを滑稽として見るべき看衆《かんしゅう》の何者もない時にも、挙動そのものが、滑稽になりきっていることもある。
 お気の毒なことには、天地間にその滑稽を見て笑い手が無い、まさに滑稽の持腐れ。ここに出没している御当人と、その為しつつあることが、まさにその滑稽の持腐れに似ている。
 滑稽の持腐れも、かなり楽な仕事ではないらしい。
 化け物なら知らぬこと、人間である以上は、二分間より以上の潜水は至難のことでなければならない。ところがこの滑稽なる出没は、どうかすると二分間以上沈んでは、また浮き上ることもあるから、その都度都度《つどつど》の呼吸はかなり切迫しているらしく、浮袋にしがみついた瞬間は、全く命からがらと見なければならないのですが、それがどうも、滑稽としか見えないのは、この人物の持味《もちあじ》の、幸と不幸との分れ目でしょう。
 見る人が無い、笑う人が無い
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