事件がまさに起っているのでもなく、現に起りつつあるのでもなく、これから起ろうとするのでもなく、今や盛んに起りつつ、消えつつしているのだから、出没しているというよりほかは、言いようがないと思われます。
 それは一個の怪物――頭の毛の赤い、素敵に大きな眼鏡《めがね》をかけた男性の怪物が、黒灰浦の真中の海へ深く潜《もぐ》り込んだかと思うと、暫くあって浮き上り、浮き上ると共に、あっぷあっぷと息をついて、浮袋にだきついて、きょろきょろと見廻し、巌が笑うような笑いを一つしてから、また浮袋を離れて、海の深いところへ没入したかと思うと、暫くして浮き上り、仰山《ぎょうさん》な顔をして、自分がいま沈み入ったところの海の中を見入りながら、あわただしく息をきって、後生大事に浮袋にしがみつき、そうして暫くしてまた勃然《ぼつぜん》として、海の中に没入して姿を見せないでいるかと思うと、せり出しのように浮き上って来て、仰山な眼をして、もぐり込んだ海の中を見込み、息と水を切り、後生大事に浮袋にしがみついている。
 その有様が、おのずから珍無類の滑稽になっているのであります。
 いったい、滑稽というものは、企《たくら》ん
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