の心ある奴でなければ、得るところはあるまい。
 常陸《ひたち》の磯浜の海岸から、大利根の河口まで、蜒々《えんえん》として連なる平沙二十里、これだけ続いている沙浜はどこにもなく、これだけ美しい弧線を描いている沙浜もほかには見出せない。その海岸線にはただの一カ所の出入りもなければ、岩一つ、島一つもない。あるものは有名なる鹿島の荒灘の水が、豪然として人の快腸を洗うあるのみだ。
 こんなところを天下の馬鹿野郎に教えたくない、君だけに教える、行ってその腸《はらわた》を洗って来給え――と教えてくれたから来て見たのだ。
 教えにたがわず、来て見れば、鹿島の灘は、わが腸を洗うに十分である。
 下津の浜辺を西南に向って歩みながら、白雲は豪壮なる波と、無限の海の広さにあこがれ、眇《びょう》たる一粟《いちぞく》のわが身を憐れみ、昔はここに鹿島神社の神鹿《しんろく》が悠々遊んでいたのを、後に奈良に移植したのだという松林帯を入りて出で、砂丘を見、漁舟を見、今を考えているうちに、頭が遠く古《いにし》えに飛びました。
 年代|茫々《ぼうぼう》たり、暦日茫々たり、高天茫々たり、海洋茫々たり、山岳茫々たる時に、鹿島灘の
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