立してしまった後のことを考えてみるとよくわかる。
 造船所の方は、もはや相当に任せきっても、多少の時日は明けられることに心配ないにしても、その遠見の番所の留守宅というものが気にかかるではないか。
 こうして、肝腎の二人が出て来てしまったあとの留守のことを想像すれば、二人とても、そう暢気《のんき》に、古今を談じているわけにもゆくまいではないか。
 清澄の茂太郎は何をしている、岡本兵部の娘も精神状態が心もとないのに、金椎《キンツイ》は耳が聞えないのに、マドロス氏は言葉が通じない。ことにマドロス氏はややもすればウスノロ氏に逆戻りをするような憂いはないか。
 ともかくも、駒井と、田山と、二人のうちが一人だけ残っていればまだ安心なものを、二人が轡《くつわ》を並べて出てしまっては、実際あとのことが思われる。せっかく、泊りを重ねて外出の必要があるならば、駒井は、むしろ田山に後を託して置いて、多少の世話は焼けようとも、マドロス氏あたりを引具《ひきぐ》して来るのが賢明ではないか。
 マドロス氏がいけなければ、むしろ金椎でも供につれて来る方がよかった――
 だが、そんなことまで心配する必要はあるまい。二人
前へ 次へ
全128ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング