様その人がたしかにいたことは、残されて、半分ばかり始末をしかけた化粧道具の、取散らかしが説明する。
では、相当のおめかしをして、どこぞへ出かけて行ったのか。近いところならばかまわないが、もしかして、わたしのあとを追いかけて、ふらふらと出かけられたんでは困る。
「お嬢さあ――ん、いないの?」
茂太郎が第一級の声を張り上げて呼ぶと、思いがけないところで、
「は――い」
と返事がある。
返事をしたところは離れの物置で、それはこのごろ手入れをして、田山白雲が画室にあてているところであり、その返事の主は、兵部の娘であることに相違がありません。
茂太郎が、そこへ飛んで行くと、兵部の娘は畳の上へ、画帖を取散らかして、それを、腹ばいの形になって、顋《あご》をおさえながら見ておりました。
「茂ちゃん、どこへ行っていたの」
「お嬢様、ただいま」
挨拶があとさきになりました。
「何?」
兵部の娘が落ちつきはらって、わきめもふらずに絵を見ているものですから、茂太郎が傍へ寄って来てのぞきこむと、
「ずいぶん、いろんな絵があるから、すっかり、見てしまおうと思って」
なるほど、一枚描きの絵や、仮綴じの
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