からは超越している。
 お嬢さん――まだ自分のお部屋で寝ているのか知ら。金椎さんの驚かないのは仕方がないが、お嬢さんは、いるんならば、わたしが帰って来たのを気がつきそうなもの。多分、朝寝をしているんだろう。殿様も、田山先生もいないものだから、全く気兼ねをする心配がとれたので、それで思いきり朝寝をしていらっしゃるのだろう。
 おまんまを食べてしまうと、茂太郎は兵部の娘の部屋、つまり自分たちと同居の部屋を訪れて、
「お嬢さん」
 こう呼びかけて戸を叩いてみたけれど、返事がありません。
「お嬢さん」
 ふたたび呼んで、戸を開いて見たが、その人がおりません。
「おや?」
 せっかく、雨を冒《おか》して帰って来たのは、鯨の親に呼ばれたのみではない、早く家へ帰って見たいからだ。一つは、お嬢さんに心配させまいとの心づくしだ。それだのに、相手はいっこう張合いがなく、こっちがあせって来るほど、待ちこがれもなにもしやしない。
 茂太郎は室内へ入って、隈《くま》なく見たけれども、何者の姿をも見出すことはできません。
 ただ、たった今まで、ここに人がいた形跡はたしかにある。人がいたというのは別人ではない、お嬢
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