の附近の漁民たちが、営業の妨害を廉《かど》に、故障を持ち出しでもしたのか。そうでもない。
 漁民のうちには、喜んで作業の募《つの》りに応じて働いている者もあれば、見物を怪我あらせないように見張りをつとめながら、自分も見物したり、必要に応じての器具を特志で、わざわざ持って来て貸してくれたりするほどの好意を示しているのだから、無論その辺から故障の起るべきはずはない。
 さらば内部の作業員に多分の病人でも出来たのか、海人《あま》や海女たちが競争心の結果、潜水の度が過ぎて、身体《からだ》でもこわしてのけたのではないか。
 そんなはずもない、彼等はそれぞれ適度に仕事をして、一同みな焚火にあたりながら元気よく談笑している。第一ここでは、「水を潜《くぐ》ることと、子を産むことでは、女にはかなわねえ」といって、男の方から、女に一目置いているものさえある。
 たとえば、男子の潜水の最大限度が、かりに三分間だとすると、女には五分間もつづく者がある、というようなことを是認しているらしいから、競争心の起りようはずもない。つまり外房の方から、優秀な海女《あま》が来ているのでしょう。そこで海女が、時々思いきった広言を吐いて海人を侮慢《ぶまん》することもあるが、その自慢も毒がないから、笑いに落つるだけのものである。
 そんなようなわけで、内外共に和気すこぶる藹々《あいあい》たるところ、故障が起ったのは、思わぬところに隠れたる気流があるものです。
 それはまず、浦の坊さんたちから故障が起りました。
 難船を引揚げるからには、難にあってさまよう霊魂のために、一片の回向供養《えこうくよう》を捧げて、それから仕事にかかるのが冥利《みょうり》だという申し出がありましたのです。
 それについで第二の故障は、神主さんたちから出ました。
 とつくにのふねの、わがわたつみにしずめるをなん、すくわんとするには、たなつもの、はたつものそなえて、かみはらいにはらいまつりて――後、その作業にかかるが礼儀だと申し出がありました。
 この二つの故障は、駒井甚三郎が言下に受入れて、では作業の第二日を全部、難船の施餓鬼《せがき》と、不浄のはらいとに用いようということになり、そこで直ちに、明日は施餓鬼と祓浄《はらいきよ》めとの触れが廻ると、皆々、一年一度の祭礼にでもとりかかるの意気込みでその用意にかかりました。
 その翌日、急ごし
前へ 次へ
全64ページ中31ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング