いまでも、尊氏に祭り上げられるだけの器度(?)はあった。小栗にはそれが無い。
 すべて歴史に登場する人物というものは、運命という黒幕の作者がいて、みなわりふられた役だけを済まして引込むのに過ぎないが、西郷は、逆賊となっても赫々《かくかく》の光を失わず、勝は、一代の怜悧者《りこうもの》として、その晩年は独特の自家宣伝(?)で人気を博していたが、小栗は謳《うた》われない。
 時勢が、小栗の英才を犠牲とし、維新前後の多少の混乱を予期しても、ここは新勢力にやらした方が、更始一新のためによろしいと贔屓《ひいき》したから、そうなったのかも知れないが、それはそれとして、人物の真価を、権勢の都合と、大向うの山の神だけに任しておくのは、あぶないこと。

         七

 駒井甚三郎は最初の日の偵察によって、この海に沈んでいるところの船について、大体、次のような知識を得ました。
 船の大きさは日本の千石――あちらの百トン程度のものであること。
 帆走《はんそう》を主として、補助機関が附してあること。
 機関室が船の中央になくして前部にあること。特にその機関が――旧式の外輪でなくして、スクリューによるものであることは、駒井をして非常に驚喜せしめました。
 マドロスがサヴァンナ式といったのは何かの間違いだろう。
 それと同時に、駒井の首を傾けさせたのは、この船が密猟船だとは言い条、内部には、漁具や漁獲物がわりあいに少なくして、武器や食糧の類が比較的に多く積込まれているらしいことです。
 海賊同様の密猟船でありながら、軽小とはいえ螺旋式《らせんしき》の蒸気機関を持っているところ、それらと思い合わせると、単に密猟の船ではなく、相当の要路の旨《むね》をうけて、日本の近海へ様子を見に来た船と見ないわけにはゆきません。
 そんなことは、どうでもよいとして、まず何よりも螺旋式の機関を持っているということが、この上もない掘出し物――引揚げ物だと、駒井の心を勇み立たせました。
 こうして第一日は、輪廓と、内容の要部の偵察を遂げ、明日よりは細部にわたり、全部の引揚げが可能か、一部分の取りこぼちが有利かに向って、精細なる実地検分を遂げしめようとしている時に、一つの故障が持ち込まれました。
 この故障というのは、もとより官辺から来たのではない、官辺は上に述べたる如き諒解《りょうかい》がある。
 さらばこ
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