らえにしては、頗《すこぶ》る整うた、この地方にしては破天荒といっていいほど派手に、施餓鬼とお祓いとが、黒灰の浦で催されました。
 近所の坊さんという坊さんはみんな集まり、神主様という神主様もみんな集まって、読経と、祈祷とに、最も念を入れ、かなり多大なりと覚しいお布施《ふせ》と供物《くもつ》とを持って、大満足で引下りました。
 そのあとで里神楽《さとかぐら》が開かれる。素人相撲《しろうとずもう》が催される。一方では臨時の大漁踊りが催されようというのです。
 そこで、すべてが大満足で、浦々が湧くような陽気になり、その日一日は全くお祭礼気分で、浦を挙げてのこの大陽気である中に、到るところで人気を博して歩いているのは、例のマドロス君です。
 マドロス君は酔っぱらっているのだか、酔っぱらっていないのだか知らないが、その有頂天《うちょうてん》ぶりといったら、自分ひとりが今日の主催者ででもあるような気取りで、はしゃぎ廻って、愛嬌《あいきょう》を振りまいている。
 坊さんの中へも交れば、神主さんとも握手を試みようとし、また婆さん連の中へ不意に面《かお》を出しては笑わせ、娘たちを追い廻しては驚かせ、最も滑稽なのは、大漁踊りの中へ飛入りをして、ダンスまがいで踊り出した恰好《かっこう》が、大喝采《だいかっさい》でありました。
 ことに言葉がわからないところに、多少の片言《かたこと》が利《き》くものだから、婆様をつかまえてゴシンゾと言ってみたり、漁師の真黒なのをダンナサマと呼びかけたりするものだから、それが一層の愛嬌になってしまいました。
 とうとう、この勢いで、素人相撲に飛入りとして現われた時は、やんや、やんやの喝采が暫くは鎮《しず》まりません。
 ところが、この人気力士が土俵に上ると、意外な離れ業《わざ》を見せたものだから、愛嬌ばかりでなく、あっ! と眼を据《す》えてしまった者があります。
 この浦にも、田舎相撲《いなかずもう》の関取株も来ているが、どうも、このマドロス君の手に立つのはないらしい。第一、仕切り方からして変テコで、こちらは本式に構えるが、先方は、妙な屈《かが》み腰《ごし》をしている。立合うと、ハタキ込みのような手で、組まないさきにこちらがブッ倒されてしまいます。
 ほとんど相撲になるのは一人もないような負けぶりでしたから、浦の漁師連のうちにも一種の敵愾心《てきがいしん》が
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