んじ》では兆殿司《ちょうでんす》の仏画、雪村《せっそん》の達磨というのを見せてもらい、芭蕉翁の鹿島日記にても心を惹《ひ》かれ、鹿島の町、末社の数々、二の鳥居、桜門、御仮殿《おかりどの》――かくて、鹿島神宮の本殿――
しかし、鹿島は単に神宮だけでなく、裏へ廻って鹿島灘《かしまなだ》を見ることが、この行中の一つの重要なる目的でなければならぬ。
その目的を以て田山白雲は、要石《かなめいし》から潮宮《いたのみや》、高間《たかま》の原の鬼塚、末無川《すえなしがわ》のいわゆる鹿島の七不思議を見て、下津《おりつ》の浜まで来てしまいました。
ここは音に聞く鹿島灘――今、目に見て白雲の心が躍《おど》りました。
すでに安房《あわ》の海を見、上総の海、下総の海岸を経て、利根の水、霞ヶ浦の水郷に漫遊した白雲の眼には、鹿島灘の水を、同じものとは見ることができません。
ここへ来る以前に、松川が教えてくれたのだ。鹿島の海岸は処女地だ、九十九里の浜どころではない、旅行通を以て任ずるやからでも、まだ鹿島灘を見ないやつがいくらもある、よほどの変り者でなければ、あれまでは行かないのだ、また行ったところで、それだけの心ある奴でなければ、得るところはあるまい。
常陸《ひたち》の磯浜の海岸から、大利根の河口まで、蜒々《えんえん》として連なる平沙二十里、これだけ続いている沙浜はどこにもなく、これだけ美しい弧線を描いている沙浜もほかには見出せない。その海岸線にはただの一カ所の出入りもなければ、岩一つ、島一つもない。あるものは有名なる鹿島の荒灘の水が、豪然として人の快腸を洗うあるのみだ。
こんなところを天下の馬鹿野郎に教えたくない、君だけに教える、行ってその腸《はらわた》を洗って来給え――と教えてくれたから来て見たのだ。
教えにたがわず、来て見れば、鹿島の灘は、わが腸を洗うに十分である。
下津の浜辺を西南に向って歩みながら、白雲は豪壮なる波と、無限の海の広さにあこがれ、眇《びょう》たる一粟《いちぞく》のわが身を憐れみ、昔はここに鹿島神社の神鹿《しんろく》が悠々遊んでいたのを、後に奈良に移植したのだという松林帯を入りて出で、砂丘を見、漁舟を見、今を考えているうちに、頭が遠く古《いにし》えに飛びました。
年代|茫々《ぼうぼう》たり、暦日茫々たり、高天茫々たり、海洋茫々たり、山岳茫々たる時に、鹿島灘の
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